3月15日は「靴の記念日」だ。
明治のはじめ、それまで西洋から輸入していた軍靴が大きすぎて、日本人の足にフィットしなかった。
*いまでも欧米人と日本人の体格の違いはどーしようもない。
海外のトイレで“高さ”を合わせるために、つま先立ちする屈辱を味わった日本人男性は多いはずだ。
日本陸軍の創始者である大村益次郎のススメもあって、実業家の西村勝三が日本人の足に合う靴を作ろうと、1870(明治3)年の3月15日、日本初の西洋靴の工場「伊勢勝造靴場」を設立した。
それでこの日が「靴の記念日」となる。
西村勝三はシューズメーカー『リーガル』の創業者だから、「なら玄関にあるわっ」という人もいるのでは。
以前、東ヨーロッパから来たリトアニア人が「日本の歴史や文化を見てみたい」と言うから、静岡県湖西市にある『小松楼』に案内した。
大正~昭和初期までそこは食事処で、芸者が客に歌や踊りなども披露していた。
リトアニア人は基本背が高い。
だから下を見て歩いていたため、日本人ならそのままスルーして入れる入り口で、激しく頭をぶつけてその場でうずくまった。
やっぱり体格が違う。
そんな彼らが小松楼の玄関で、下駄がいくつも置いてあるのを発見。
夏でも20度を少し超えるぐらいという、パラダイスのようなリトアニアと違って(ただし冬は-10度は当たり前)、高温多湿で雨がよく降る日本では、ぬかるんだ地面を歩くのに下駄は必需品だったと話すと、「それはリトアニアにも昔はありました」と言う。
リトアニアに下駄?
北欧に近いリトアニアも、実はジメジメ蒸し蒸しする国だったのか。
スペインでは、江戸時代の草履のような履き物が発見されたこともあるから、ヨーロッパ人も下駄のようなものを履いていたかも。
ちなみに、世界最古といわれる革靴(約5500年前)はアルメニアで発見された。
そう思って話を聞くと、下駄を見て彼らがイメージしたのは「木靴」だった。
木靴と聞くとこんなオランダが思い浮かぶのだけど、実はヨーロッパのいろんな国に木靴があるらしい。
トラスコ(デンマーク)
日本語で木靴をあらわすことばには、「木沓(きぐつ)」と「木履(きぐつ)」がある。
どちらも木でできている点は同じながら、足の甲までおおう木靴が「木沓」で、下駄のように足の指で鼻緒をはさんで履くような木靴は「木履」という。
靴は丈夫なほうがいいし、雨などでぬかるんだ地面を歩くことを考えれば、木で履き物を作る発想が出てくるのはごく普通。
ただその現れ方には違いがあって、日本の場合は下駄、ヨーロッパでは上のような靴となった。
それにしても下駄を見て、「ヨーロッパにも同じものがある」と木靴を連想するとは思わなかった。
日本人とは文化や観点が違っているから、外国人との付き合いは、意外な発展や発見があっておもしろい。
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