古代の日本は先進国の中国にならって漢字などの文化や、律令制といった政治制度を取り入れたから共通するところはたくさんある。
でも日中を比べた場合、決定的な違いのひとつが天皇(王朝)。
中国の歴史は、皇帝を倒した人間が皇帝となって新しい王朝をはじめて、でもしばらくすると、また皇帝が誰かに倒されて…のエンドレス状態だった。
初めての皇帝・秦の始皇帝から20世紀はじめの辛亥革命まで、隋・唐・宋…と皇帝と王朝がセットでコロコロと交代していたのが中国の歴史。
それに対して日本には天皇、ヨーロッパには王がいて、皇室や王室は現在まで続いている。
その理由について中国メディアの快資訊が考えた。
サーチナの記事(2021-04-07)
日本と違う・・・中国の歴代王朝の「寿命」が短かったわけ
まず中国には300年以上続いた王朝はない。
古代の東周は500年以上存続していたとはいえ、それは名目上のことで、春秋戦国時代と重なっていたときには多くの国が生まれては滅亡していった。
中国史で比較的長く続いた王朝の唐、明、清でも300年を超えることはなかったという。
日本では約1500年の間、皇室が変わったことは一度もない。
この違いは決定的だ。
中国で王朝が短命に終わった原因として快資訊は次の3つをあげる。
・疫病や自然災害、外部からの侵略などによって、農民の反乱がよく起きた。
・各地の支配者が税収を隠していたことで、自分は強大になる一方、中央政府は衰えていった。
・皇帝が国家の金を湯水のように使ってぜいたくな暮らしをして、自ら王朝を弱体化させ滅亡を招いた。
その一方で、日本の皇室や欧州の王室が長続きしている理由を「貴族による統治だったから」と分析し、記事にはこう書いてある。
権力を少数の貴族が握り、血筋を保つことで権力を維持してきたとしている。しかも欧州では長期間にわたって宗教の影響力も強かったので、信仰を前にすると王室を翻そうという人はいなかったのだと論じた。
これに日本のネットの声は?
・まあ国土の広さが全然違うし、長大な国境のどこかから地続きに異民族が侵攻してくるのもキツい
・そら民間人が勝手に王の血筋だとか名乗りをあげて
国を混乱させるんだから仕方ないだろ
・天皇は日本最古の宗教神道のボスだからな
・王朝としての正統性がなかったことが致命傷
力による覇道だから、力が衰えて正統性が無くなったら終わり
日本の場合、単純に島国で、四方を海という巨大な堀に囲まれて攻め込まれにくかったから、ということもある。
農民が反乱を起こしたとか中央政府が弱体化したとしても、皇帝を倒す人間が現れなかったら王朝が代わることはない。
日本では織田信長でもそんなことはしなかった。
天皇を倒し自分がその座について新王朝を開こうと思った人間は、いたかもしれないが、そんなことは実際には起こらなかった。
王朝交代の連続だった中国とはこの点で違う。
中国では、易姓革命という政治思想によってこうした交代が可能になっていた。
皇帝である天子は天の意思(天命)によって、地上を支配する権利が与えられているにすぎない。
だから皇帝としての徳がなくなれば、もっと徳の高い別の人間がその地位を奪って皇帝になってもいい。
たとえば楊一族の支配する隋王朝を滅ぼして、李一族が新皇帝となって唐王朝をはじめたように、皇帝の姓を易(か)えて天命を革(あらた)めることを易姓革命という。
この革命理論に立てば、大事なことは「徳」であって血筋ではないから、血統が断絶しても問題はない。だからそ劉邦や朱元璋のような平民出身の人間でも、皇帝になることが人々から認められた。
中国では聖人とされる孟子がこの易姓革命を正当化している。
臣下であった武王が主君である殷の紂王を倒し、周王朝を打ち立てた。
これが正しいことかきかれた孟子はこう話す。
「仁を失った者は賊であり、義を失った者は残であり、仁義を失った者は君主である資格がなく、残賊、つまり、ただの男である。ただの男の紂を殺したとは言えても、君主である王を殺したとは言えない。」
(仁を賊う者は之を賊と謂い、義を賊う者は之を残と謂い、残賊の人は之を一夫と謂う。一夫の紂を誅せりとは聞けども、未だ君を弑したりとは聞かず。)
徳(仁義)のなくなった人間はもう皇帝ではない。
そんな人間は殺害し、その王朝を滅ぼすことは正しい行いだという。
こんな孟子の考え方が中国人に支持されてきたことが、歴代王朝の「短命」の理由になっている。
日本はこの革命理論を受けれ入れなかったから、いまでも皇室は続いている。
血統より天命を重視する易姓革命を日本人が採用していたら、天皇家も危なかったはず。
おまけ
中国の古都・洛陽
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> 日本はこの(易姓)革命理論を受けれ入れなかったから、いまでも皇室は続いている。
まあ、そういう考え方もできるとは思いますが、どっちかって言うと「後付け」的な理屈のような。
日本の場合、「一族誅滅してしまうと、菩提を弔うものがいなくなって怨霊が祟る原因になる」という素朴な怨霊信仰が、それこそ明治時代までいつまでも残っていたという点が理由の一つに上げられます。たとえば明治天皇も即位して最初にまず、後鳥羽上皇(だったかな?)の怨霊を鎮めて自分の即位を報告するという儀式を行っています。
あるいはまた、中国の始皇帝なんかと違って、日本では、トップが政治権力を握るとすぐに実権を補佐役に渡してしまい、自分は周囲から祀られる存在になってしまうという、権力と責任を伴わない独裁者システム(?)を世界に先駆けて発明したということもあります。天皇家の外戚(皇后の実家)であった藤原氏とか、鎌倉幕府将軍に対する執権北条得宗家とか、室町幕府に対する日野家(将軍の嫁の実家)とか、江戸幕府の老中・若年寄システムとか、明治時代からの(実質的な)象徴天皇制とか、みなそうです。祀られているだけの存在ならば、権力交替があったとしても生き延びる可能性は比較的高まります。天皇家は結局のところ神社の本家ですから、神官として生き延びることができたとも言えます。
日本の歴史上の政治家で、トップが自ら政務を執行しようとした例と言えば、孝謙称徳女帝とか、後醍醐天皇とか、織田信長とか、数えるほどしかいません。皆、不幸な最期を遂げています。トップが全ての面で独裁権力を行使することは日本では非常に嫌われるのでしょうね。