きょう4月22日は「よい夫婦の日」。
4・22を「良い夫婦」と読むのは自然で、強引なこじ付け感がなくて好感が持てる。
ただ2月2日は「夫婦の日」、 11月22日は「いい夫婦の日」 、11月23日も「いい夫妻の日」と同じような記念日が多すぎ。
「夫婦っていいもんだよっ」と何度もアピールするのは危機感の裏返しですか?
まぁそれはいいとして、せっかくなんで今回は日本の夫婦の話をしよう。
戦国時代と江戸時代にやってきた外国人(欧米人)の目から見ると、日本では女性の地位が驚くほど高かったようだ。
まずは16世紀の終わりごろ、ルイス・フロイス(1532年 – 1597年)というポルトガルの宣教師が日本へやって来た。
日本でキリスト教を広めたフロイスは、織田信長や豊臣秀吉という日本史のビッグ2と会見したことで知られる。
当時のヨーロッパ社会に比べて、彼は日本女性の“地位”の高さにビックリしたようで「フロイスの日本覚書 (中公新書)」にはこんな記述がある。
ヨーロッパでは、夫婦間において財産は共有である。日本では、各々が自分の分け前を有しており、ときには妻が夫に高利で貸しつける。
ヨーロッパでは、妻は夫の許可なしに家から外出しない。日本の女性は、夫に知らさず、自由に行きたいところに行く。
ヨーロッパでは、男性が高いテーブルで、そして女性が低いテーブルで食事をする。日本では、女性が高いテーブルで、男性が低いテーブルで食事をする。
妻が夫にお金を貸すのではなくて、高利で貸しつける。
これが家庭での戦国武士の実態だったとは、現代の日本人でも驚くのでは?
3番目については、「ペットの昼食代がオレの昼飯代より高かった…」と衝撃を受けた知人に近い。同じ思いをした男性なんて、全国にいくらでもいるはず。
妻が経済を握っていたし行動の自由もあったという点は、400年前のヨーロッパ人からしたら異世界に見えたかも。
令和の現代でも、夫には何も言わないで、妻が行きたいところに行ける自由はなかなかないだろう。
外ではこんな格好でも、家では妻より低いテーブルでご飯を食べてました。
全員がそうとは言わないが。
戦国から江戸に時代が移って儒教の影響を強くうけるようになると、日本は「男尊女卑」の世の中になっていく。
それを象徴する考え方が「三従の教え」だ。
これは高校日本史でならうことだから知っとこう。
三従の教え
家にあっては父、嫁としては夫、夫死しては子に従う三つの道のこと。特に江戸時代は、女性の心構えとして教えられた。
「日本史用語集 (山川出版)」
にもかかわらず、幕末にやってきたペリーは日本女性の地位の高さに驚いた。
これは社会のどこに注目するかによるが、「家の中」(家政)については、妻は夫と同じかそれ以上の力を持っていたようだ。
少なくともアメリカ社会に比べれば。
朝日放送の『コヤブ歴史堂』のスピンオフ・ブログにこう書いてある。
武家に関してもそうですが、「家」の中の経済は女性が支配していました。
男が介入しようとしても、「奥向きのことですから殿方の口のさしはさむことではございませんっ」とビシっと退けられました。
「男子厨房に入らず」という一見封建的な言葉も、「男子は厨房に入れてもらえなかった」というのが実態なのです。
江戸時代の日本では、「男が女の世界に口出しするなっ」と言われることがあったようだ。
その後、幕府が国を開いてたくさんの外国人たちがやってくると、彼らは「日本では、女が企業の主である場合が多く、男を使用人としている。」と記録した。
女性は経営にタッチできなかった欧米の社会からすると、日本の『女将』の存在はまさにサプライズ。
もちろんこれも日本社会の一面。
『女性の地位』を全体的に見れば、欧米のほうが進んでいた分野もあったはずだ。
ただ経済(カネ)については、戦国時代から江戸時代まで、男が女性の尻に敷かれていたのは間違いなさそう。
あ、いまもか。
こちらの記事もいかがですか?
女性蔑視①欧米人から見た神道とキリスト教、日本とヨーロッパの違い。
どうでも良いことですが、
外国人男性「日本は男尊女卑で、夫は家では王様なんだってな? 羨ましいよ」
日本人男性「確かに夫は家では王様だよ。でもね、日本は立憲君主制なんだよ」
というジョークがありましたね。
日本における「男尊女卑」の考え方は、おそらく、明治になって欧米を真似た結果だと思いますね。
(ジェンダーフリーを海外から懸命に取り入れようとしている現代では、考えられないことかもしれないが。)
そもそも日本皇族の始祖は「天照大神」だし。古代で唯一朝鮮半島にまで攻め入った軍事的英雄は「神功皇后」だし(その後の朝鮮半島進出は豊臣秀吉まで来てようやっと)。中国風の皇帝独裁体制を布いたのは孝謙・正徳天皇(重祚して「皇帝」を自称したが最期はおそらく暗殺)。鎌倉幕府の設立と発展に多大な功績をあげたのはもちろん「尼将軍」である北条政子。夫の政治家としての職務放棄が応仁の乱を招いたので、その収集に尽力したのは第8代室町幕府将軍・足利義政(←芸術家としてはとても才能があった人)の妻である日野富子です。それから、豊臣秀吉の妻・おねとか、江戸幕府三代将軍・徳川家光の乳母であった春日局とか。このように、国を代表する大政治家とも言える女性が、日本は他国よりも圧倒的に多い。
中でも特に日野富子は、応仁の乱を何とか鎮めようと、将軍家の「財力」を利用して大名に「融資」を行うという、近代的な政治経済学者・官僚・政治家も顔負けの政治能力を発揮しています。もしかするとこれが後々「女性が一家における金融庁を担う」モデルとなったのかもしれません。
そうですね。
家ではおとなしい夫はよくいますね。