最近ネット掲示板にこんな質問が放り込まれた。
「三大・ちょうど良さそうな田舎 「滋賀県」「岐阜県」あと一つは?」
ではこれに寄せられたコメントを見てみよう。
・屋久島町
・Amazonフレッシュかイオンネットスーパー非対応の田舎は住めない
・天下を取った徳川家康が
最終的に老後を過ごしたのが江戸でなく
温暖な静岡という事実
・仙台を除いた宮城
・群馬住みが見ると埼玉
・ここまで聖帝都市の山口がない
ということで今回の話は「日本三大・ちょうど良さそうな田舎」の一角を占める岐阜の由来についてだ。
日本の真ん中、岐阜県には山が多くて海がない。
それで栃木県、群馬、埼玉、山梨、長野、滋賀、奈良とならんで「海なし県」なんて言われることもあり。
そんな岐阜はむかし、「井口(井ノ口)」(いのくち)と呼ばれていた。
クラスに1人はいそうな平凡は名前を改めて、現在に続く地名にしたのは織田信長という説が有力だ。
この地を制した信長は、尾張の僧・沢彦宗恩(たくげんそうおん)が提示した「岐山・岐陽・岐阜」の3つのなかから「岐阜」をチョイス。
これは中国の「周の文王、岐山より起り、天下を定む」という故事に由来するという。
古代中国の周王朝の名君・文王(ぶんおう:紀元前12世紀 – 紀元前11世紀ごろ)は岐山のふもとからスタートして、中国の天下統一に決定的なはたらきをした。
尾張の一地方から日本の天下統一を目指した信長は、この話から「井口」を「岐阜」に改めただろう。
岐阜の由来には他の話もあるが、「信長公が名づけた」説がよく知られている。
ここでの記述は岐阜県公式ホームページ「岐阜の由来」を参考にさせてもらった。
JR岐阜駅前に立つ黄金の織田信長
だがしかし岐阜市出身の知人いわく、「評判?すっげー悪いよ。なんで全身金ピカにしたんだって」
井口を岐阜と改名したころから、信長が使い始めたのが「天下布武」という印章。
「天下に武を布(し)く」というこの四文字熟語は、「武力によって天下を取る」といった意味に理解されることが多い。
でもこの場合の「武」とは実は軍事力ではない、「天下」とは京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)を指すとか、いろいろな解釈があるから、必ずしも「天下布武=日本の天下統一、全国制覇」というワケでもない。
まぁくわしいことはここを見てくれ。
個人的にはいままで会った岐阜出身の人間は、温和でのんびりしていて争いを嫌う人が多かったから、織田信長というより「日本三大・ちょうど良さそうな田舎」のイメージがしっくりくる。
「天下布武」の印
岐山は殷から周へ王朝がかわる時に、鳳凰が舞い降りたといわれる伝説的な山で、そこから身を起こした文王に信長は自分を重ねたのだろう。
岐阜の「阜」のほうは、儒教の開祖・孔子が生まれた『曲阜』(きょくふ)から取った。
日本の都道府県で中国に由来する名前は岐阜県だけ。
本家・中国には岐山にちなむ岐山県(きざんけん)があるが、岐阜県と姉妹県関係(?)を結んでいるかどうかは知らない。
ちなみに「三大・ちょうど良さそうな田舎」の一角、滋賀県の長浜市は織田信長から一字を取って「今浜」から「長浜」へ変わった。
たぶん信長が理想とした周の文王
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> 「天下に武を布(し)く」というこの四文字熟語は、「武力によって天下を取る」といった意味に理解されることが多い。
> でもこの場合の「武」とは実は軍事力ではない、「天下」とは京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)を指すとか、いろいろな解釈があるから、必ずしも「天下布武=日本の天下統一、全国制覇」というワケでもない。
うーん、確かに、そのような学説が最近は主流となりつつあるということは聞いたことがありますが・・・。
ちょっと極端に考えすぎじゃないですかね。
おそらく、さすがの織田信長も「天下布武」を自らのスローガンとして使い始めた頃には、その征服すべき版図として思い描いていたのはせいぜい機内五カ国程度であったが、その「天下布武」を推し進めていく過程において、やがて、日本全国までが視野に入って来るようになってきたというのが本当のところでは?
いずれにしても信長の覇道は、明智光秀を担ぎ上げた「抵抗勢力」によって挫折させられました。「天下布武」という壮大な構想は、信長の後を継いだ秀吉・家康によって完成したのです。