【岐阜の由来】織田信長が「天下布武」に込めた決意

最近、ネット掲示板で「住むのにちょうどよさそうな田舎」として、「岐阜県」が挙げられていた。
たしかに岐阜は大都会ではないが、豊かな自然があって生活もそこそこ便利だ。

この地名の命名者として知られているのが、織田信長だ。

 

周の文王
信長が理想と考えた人物かもしれない。

 

昔むかし、現在の岐阜は「井口(井ノ口)」(いのくち)と呼ばれていた。
織田信長がその地を支配すると、名称を変更しようと考え、尾張の僧・沢彦宗恩(たくげんそうおん)が提示した「岐山・岐陽・岐阜」の3つの中から「岐阜」を選んだ。

これは中国の「周の文王、岐山より起り、天下を定む」という故事に由来するという。
古代中国の周王朝の名君、文王(紀元前12世紀〜紀元前11世紀ごろ)は岐山という場所から動き出し、最終的には「殷」の紂王を討って天下を平定した。

この縁起のいい「岐」と、儒教をはじめた孔子が生まれた「曲阜」から一字をとり、信長が「岐阜」と命名したとされる。
尾張の一地方から日本の天下統一を目指した信長は、この話から「井口」を「岐阜」に改めただのろう。

岐阜の由来にほかの説もあるが、「信長公が名づけた」説がよく知られている。

 

JR岐阜駅前に立つ黄金の織田信長
だがしかし岐阜市出身の知人いわく、「評判?すっげー悪いよ。なんで全身金ピカにしたんだって」

 

井口を岐阜と改名したころから、信長が使い始めたのが「天下布武」という印章だ。

「天下に武を布(し)く」というこの四文字は、一般的に「武力によって天下を統一する」という信長の決意表明だと理解されている。

しかし、織田信長は、京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)の支配を想定していて、「天下」は日本全国を指していなかったという指摘もある。

くわしいことは以下をクリックしてを確認してほしい。

信長の政権構想

 

「岐阜」という地名は織田信長の「天下布武」という強い決意からつけられたが、現在では「住むのにちょうどよさそうな田舎」になっている。

 

「天下布武」の印

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • > 「天下に武を布(し)く」というこの四文字熟語は、「武力によって天下を取る」といった意味に理解されることが多い。
    > でもこの場合の「武」とは実は軍事力ではない、「天下」とは京都を中心とした五畿内(山城、大和、河内、和泉、摂津)を指すとか、いろいろな解釈があるから、必ずしも「天下布武=日本の天下統一、全国制覇」というワケでもない。

    うーん、確かに、そのような学説が最近は主流となりつつあるということは聞いたことがありますが・・・。
    ちょっと極端に考えすぎじゃないですかね。
    おそらく、さすがの織田信長も「天下布武」を自らのスローガンとして使い始めた頃には、その征服すべき版図として思い描いていたのはせいぜい機内五カ国程度であったが、その「天下布武」を推し進めていく過程において、やがて、日本全国までが視野に入って来るようになってきたというのが本当のところでは?
    いずれにしても信長の覇道は、明智光秀を担ぎ上げた「抵抗勢力」によって挫折させられました。「天下布武」という壮大な構想は、信長の後を継いだ秀吉・家康によって完成したのです。

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