国際基準 vs 伝統:日本政府のメートル法で大工が逮捕された

 

きのう5月20日は「世界計量記念日」(World Metrology Day)という国際的な記念日だった。

さて、海外で長距離バスに乗っているとしよう。
目的地まであとどのぐらい距離があるか隣の外国人にきくと、「100マイルだ」と言われて「そうか」と納得できる日本人はほとんどいないはず。
日本の社会で育った人間だとキロメートルに換算して、約161キロという数字を見ないと距離が実感できない。
星空のディスタンスは一般的に500マイルと決められているが(しらんけど)、これは約805キロメートルだから東京ー広島の距離に相当する。
「大谷翔平 100マイル超え」という記事を見たら、大谷選手が時速160キロ以上の球を投げたということ。

こんな面倒をなくそうという試みが、フランス革命(1789年 – 1795年)後のフランスであった。
世界にはいろいろな長さの単位があって不便だから、「それを統一しよう!」という動きが出てきて、1790年にフランスで「メートル」という新しい単位がうまれる。
*北極点から赤道までの子午線弧長の1000万分の1の長さが1mとされた。
いま世界中で使われている体積の単位、リットルもこのとき定められた。

その約100年後、欧米を中心に世界17か国がこの考え方に賛同し、フランスの単位を採用することがきまり、1875年5月20日に「メートル条約」がパリで締結された。
17か国といってもその植民地をふくめたらかなりの規模になる。

 

現代のメートル条約の加盟国
赤が加盟国、ピンクが準加盟国、緑は元加盟国

 

ちなみに日本はこの条約に参加していない。
そのころは1874年の佐賀の乱など各地で士族による反乱がおきていて、日本は不安定な時期だったのだ。
メートル条約が締結された1875(明治9)年には、大久保利通や木戸孝允といった明治政府の中心メンバーが大阪にあつまって話し合いをおこなっている。(大阪会議
今後の日本のありようについて構想をねっていたころだったから、世界的な度量衡の統一なんてアウトオブ眼中だったのでは。

1875年には伊能忠敬が考案したという尺(しゃく:1尺=約30.304cm)を採用した、近代日本最初の度量衡法規「度量衡取締条例」が公布されたから、日本はむしろ国際化の逆方向に進んでいる。

 

大阪会議の参加者

大久保利通(上左)・木戸孝允(上中央)・板垣退助(上右)・伊藤博文(下左)・井上馨というまさに明治のビッグ5

 

その後、1877(明治10)年の西郷隆盛らによる西南戦争という国家的危機を乗りこえ、士族の反乱もなくなって日本が安定してくる。
日本がメートル条約に参加して世界の仲間入りをしたのは1885年、伊藤博文が初代総理大臣になった年。
ただその後も日本人は新しい単位に慣れず、尺や寸の昔からの単位を使っていたようで、メートル法が完全実施されたのは1966(昭和41)年になってからだ。

政府が国民にメートル法を守らせようと超厳しく臨んだ結果、社会はこうなった。

大工職人が施工する際に混乱したり、書類送検、逮捕されるなど、日本のメートル法化の厳格運用によって、日本では社会問題が発生したことがあり、永六輔が「尺貫法復権運動」を巻き起こした。

尺貫法

 

「メートルは不便だ!尺のほうがいい!」という人はたくさんいたから、この「尺貫法復権運動」には多くの支持が集まった。
政府もその民意を無視することはできず、1977(昭和52)年からはメートルと尺の単位のある物差し(尺相当目盛り付き長さ計)が合法となる。
混乱がおきて結局「尺」を捨てられなかったというのは、伝統とはそれだけ根強く、変えにくいということの表れでもある。

福沢諭吉が著書『教育の事』でこう言う。

「教うるよりも習いという諺あり。けだし習慣の力は教授の力よりも強大なるものなりとの趣意ならん。」

何世代にもわたって、一定数の人間がつづけてきた習慣はとても強大な伝統になるから、これをいきなり政府の力で廃止するのは無理。
着物の世界でもメートル法は細かすぎて不便だから、いまでも和裁では尺貫法を使っているらしい。

「アメリカ人もマイルをやめてメートルに切り替えろよ~」と個人的には思う。
でもそれがむずかしいのは、いまでも尺の単位のある測りがホームセンターで売られているのを見ればよくわかる。

 

 

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5 件のコメント

  • > 着物の世界でもメートル法は細かすぎて不便だから、いまでも和裁では尺貫法を使っているらしい。

    「メートル法が細かすぎる」のではなくて、「1cmという長さの単位が細かすぎる」のでしょうね。1cmの上は1m、下は1mmしかないので。背丈だったら6尺とか5尺5寸とか簡単に表現できる。
    ちなみに、尺貫法の「1寸」は凡そヤード・ポンド法の「1インチ」に近く、「1尺」が凡そ「1フィート」に相当しています。これは全くの偶然ですが、尺貫法でもヤード・ポンド法でも、身体部分の長さ(指とか膝下とか)を基準に単位を決めたことの結果だと思われます。

    > 「アメリカ人もマイルをやめてメートルに切り替えろよ~」と個人的には思う。
    > でもそれがむずかしいのは、いまでも尺の単位のある測りがホームセンターで売られているのを見ればよくわかる。

    まあそりゃ、どちらを選択するかは米国人の自由ですからね。好きなようにすればいい。
    ですが、もう二度と、米国の自動車産業が世界へ大進出することはないだろうし(電気自動車テスラであっても多分無理、おそらく中国かトヨタになる)、米国の鉄鋼産業が世界へ大進出することもないでしょう。今後とも米国式を外国でも通せるのは軍事と航空宇宙産業だけです。なお、電子デバイス産業だけは、米国でもメートル法が主力だと思います(ヤード・ポンド法にはミクロン単位の細かな寸法に対応する単位が存在しないので)。

    科学・技術の分野では、メートル法でなければ話になりません。でないと単位の換算ばっかやってなきゃなんない。論文やマニュアルの長さ厚さが2倍になってしまいます。そもそも10進法と、12進法(12インチ⇒1フィート)、3進法(3フィート⇒1ヤード)がごちゃまぜだし。(あいつら頭がヘンなのか?)
    また、明治期の日本が開国後に急速に工業力を伸ばして、太平洋戦争時には米国へ喧嘩を売れるまでになったのも、メートル法を採用したことの影響が実は大きいのです。たとえば、戦艦大和の「46サンチ砲(=口径46cm砲)」なんて用語を見てもそのことが分ります。

  • あともう1点、自分自身はエンジニアの世界に生きている者です。なので、大工が逮捕されようが、永六輔が逮捕されようが、日本国を近代化して産業立国とするためには、残念ながら、「それは小さな犠牲であった」と考えます。でもそのような「リスクを許容する」考え方は、現代日本の価値観では、おそらく許されないのでしょうね。「多少の犠牲を払ってでも、必要な政策を実施することの方が重要だ(=トリアージュ)」という考えに対し、強力な反対論がメディアや一般民衆から巻き起こる(=100%の安全安心のため、少しの失敗も犠牲も許さない)のも、一種の「平和ボケ」なんだろうな。
    もしも他国から攻撃されたりするような非常時の場合、どうするんでしょうか? ウィルスによる攻撃とか?

    日本でワクチン接種が進まないはずだ。

  • ナットのサイズも違うし、むこうじゃガロンとリットルを間違えて旅客機が墜落したなんてマヌケな事故もありましたね。
    木材もフィートで販売しているし。

  • いつも楽しく拝見しています。
    本文中「南西戦争」は「西南戦争」の誤りではないでしょうか?

  • わわわっ、その通りです。西南戦争です。
    ご指摘ありがとうございました。
    それとご支援もありがとうございます。そう言ってもらえるとやる気が出るってもんですよ。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。