このまえ5月21日は「小学校開校の日」という記念日だった。
江戸から明治に変わった直後の1869(明治2)年のこの日、京都市に日本最初の近代小学校が開校したことを記念してこの日がつくられた。
新しい時代を生きる子どもたちのことを考えて、京都の人たちが国より先に動いて学校を建てたという点がすばらしい。
日本では701年の大宝律令によって、はじめて教育制度が作られた。
現在の教育制度に直接つながるのは、1872(明治5)年に定められた日本初の近代的な学校制度「学制」で、すべての国民に必要な学びの機会を確保するため、政府は全国に小学校・中学校・大学校を設置。
さていきなりの超難問なんだが、この木は何かご存じだろうか。
これは「パウ・ブラジル」という木で、ブラジルの国名はこれに由来する。
この木から貴重な赤い染料が取れたから、ヨーロッパで「パウ・ブラジルの国」と呼ばれるようになったという。
そんなブラジルってこんな国
面積:851.2万平方キロメートル(日本の22.5倍)
人口:約2億947万人
首都:ブラジリア
民族:欧州系(約48%),アフリカ系(約8%),東洋系(約1.1%),混血(約43%),先住民(約0.4%)
言語:ポルトガル語
宗教:カトリック約65%,プロテスタント約22%,無宗教8%
以上の数字は外務省ホームページ「ブラジル連邦共和国(Federative Republic of Brazil)基礎データ」から。
知人のインドネシア人が浜松市にやって来たとき、街中に日本語とポルトガル語の案内があるのを見て、「英語ならわかるけど、なぜポルトガル語が?」と不思議に思った。
いまはかなり減ったけど、浜松には日系ブラジル人がたくさん住んでいたから、英語より先にポルトガル語の案内が必要になることもあったからそうなったわけだ。
1908(明治41)年に約800人の日本人が移民としてブラジルへわたったことで、現在の日系ブラジル人の歴史が始まる。
それから約100年間で26万人ほどが移住し、ブラジルは世界最大の日系人居住地になり、いまは200万人以上の日系人がいるといわれる。
南米への移住を呼びかけるポスター
サンパウロの日本人街「リベルダージ」
瓦のデザインの屋根とか、日本のマクドナルドより和風かも。
浜松にいると日系ブラジル人と話す機会はよくある。
彼らに現地での日本人や日系人の評判を聞くと、真面目に働くし信頼できるといった理由から、ブラジル社会ではかなり高く評価されているとよく聞く。(それは結局、彼らに対する評判なんだが)
実際、ブラジルで日系人は医者や弁護士、学校の先生など社会的に敬意を払われる職業についていることが多く、社会の発展に多大な貢献したと言われている。
昭和になってから日本企業がブラジルに進出すると、それまでの先人が築いた「日本人は勤勉で信用できる」というポジティブなイメージのおかげで、事業展開がやりやすくなったという。
日本人と日系ブラジル人が不渡り手形を出すことはまずなかったため、それ以外のブラジル人(非日系ブラジル人)は「Japones Garantido」(日本人は確実に信頼できる)と、小切手の受け取りを拒否しなかった。
日系ブラジル人に“成功”の理由をたずねると、みんな口をそろえて「日本人の移民は教育をとても大事にしたから」と言い、ある日系人はこう話す。
「ヨーロッパ人はブラジルにやって来るとまず教会を建てた。でも日本人はまず学校を作った」
国より先に学校を建てた人たちと同じ気持ちだろう。
日本の反対側に行っても、教育によって日本人の価値観や精神、文化を伝え続けてきたことが、現在のブラジルでの高い評価や信頼につながっている。
日本からブラジルにわたった人たちが子どもたちへの教育を重視したことで、彼らが政治家や医師や弁護士などになり、ブラジルの発展に貢献したことについては国際協力機構(JICA)のホームページにも書いてある。
これは安倍首相がウルグアイを訪れたときの様子
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> 「ヨーロッパ人はブラジルにやって来るとまず教会を建てた。でも日本人はまず学校を作った」
その通りですね。戦国時代末期、日本へやってきたヨーロッパ人も、まず教会を建てることを行いました。
これはつまり、キリスト教を布教することによって外国の野蛮人たちを教化し、手なづけ、植民地化しようという意識が、いつまで経っても抜けないからでしょうね。民族間・国家間の争いを招く原因となるだけです。ホント、彼らも良心が傷まないのかな?
文化盗用をヒステリックに非難するのもいいけれど、キリスト教を含めて中東起源の一神教の思想に誤りが多いことを、まず認めたらどうなのか? SDGsも突き詰めれば、そこにたどり着きますよ。
その一方で、日本人が考えたのは、おそらく、宗教関係なく「ブラジルを経済成長させることがまず第一」だったのでしょうね。つまりは明治維新の際の日本を想定していたのです。地球の裏側にある国を宗教的な植民地にしようだなんて、そんな無謀なことを(しかも明治の昔に)夢見る日本人なんて、いるわけがない。
日本人はそこまでアホじゃないですよ。