腐っても鯛!徳川一族が“日本初飛行”の名誉を手にしたわけ

 

2021年の5月21日、あるアメリカ人がSNSにこんなメッセージをしていた。

Today is the 21st day of the month and the 21st week of the 21st year of the 21st century! 💫

きょうは21世紀がはじまってから21番目の年、でもって21週目の21日。
よく見つけたなお疲れ。

 

アメリカで5月21日といえば「リンドバーグ翼の日」じゃないか。(強引っ)

1927年5月20日、4つのサンドウィッチを持ち込んだアメリカ人チャールズ・リンドバーグが飛行機に乗ってニューヨークを飛び立ち、翌日21日にパリに到着し大西洋無着陸横断飛行に成功した。
(飛行距離は約5800km、飛行時間は33時間30分)

 

リンドバーグ
「翼よ、あれがパリの灯だ」のセリフはもはや伝説。

 

日本で初めて飛行機が飛んだのはこの快挙の15年前、1910(明治43)年に陸軍軍人の日野 熊蔵(ひの くまぞう)の操縦によるものだ。
日本初の空港ができたのは翌年の1911年。

日本初の有料道路は1875年、交通信号は1919年といった交通史のおける“初モノ”に興味のがる人はこれをクリックされたし。

交通に関する日本初の一覧

 

日本初の空港は、当時の陸軍によって埼玉の所沢市につくられた所沢陸軍飛行場というもの。
その年(1911年)にはその空港を利用して高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒の試験飛行が行われた。
21世紀からみればまぁ何でもない記録だけど、パイロットが徳川家康の子孫だったというのがおもしろい。

1910年の日野熊蔵による記録には「あれは飛行ではなくジャンプだ」といった指摘が出るなど、ちゃんとした飛空と言えるかどうかアイマイだった。
それと“徳川家の威光”で、陸軍大尉の徳川 好敏(よしとし)によるこの記録が日本初となったという話がある。

徳川御三卿の一家の名誉回復の、またとないチャンスであったのは事実である。(中略)12月19日の徳川の飛行をもって「日本初飛行の日」とされている。

徳川 好敏

徳川 好敏(よしとし)

 

江戸幕府の最後の将軍・徳川慶喜には徳川昭武(あきたけ)という弟がいて、昭武の甥(おい)に徳川篤守(あつもり)という人物がいた。
この篤守の代になると清水徳川家は没落・零落しお金がなくなって、1892年には融資を受けて何とか苦境をしのぐ。
がその金を返せなくなり、訴えられて敗訴する。
そのときの負債は他の徳川一族の支援を受けて何とか整理したものの、再び経済的に行き詰まり(無能かっ)、また債権者に訴えられた。
さすがにこのときは徳川一族からの支援はなく、清水徳川家は華族としての礼遇を停止された。
その後、裁判で争ったが敗れ、最終的に禁固刑をくらった徳川篤守(あつもり)は江戸時代ならきっと切腹もの。

 

この篤守の長男が陸軍大尉の徳川 好敏(よしとし)だ。
一家にカネがなくなり親父は禁固刑になりと、清水徳川家はこれ以上なくみすぼらしく、不名誉な状態だった。
でもこの腐っても鯛、この家が徳川御三卿の一家であることにはかわらない。
それで汚名返上・名誉回復の大チャンスということで華族ら意向を受けた結果、日野の記録は退けられ、徳川好敏が「日本初飛行」の名誉を手に入れたという。
ただ、これには否定的な見方もあるから断定はできない。
でも、いつの時代も「上級国民」は強い。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。