【完全超悪】伊藤博文にみる、韓国の一方的な歴史認識

 

むかし家庭教師で、あまりやる気と偏差値のない中学生に歴史を教えていたとき、善をすすめて悪をこらしめる「勧善懲悪」の話をしていたら、その生徒が「完全超悪」と理解していて、話がまったくかみ合わなかった。
今回はまぁそんな話ですよ。

 

豊臣秀吉と伊藤博文は日本では歴史の偉人でも、韓国で嫌われている日本人のツートップ。
韓国側の見方では、彼らはそれぞれ朝鮮半島を侵略して民衆に苦痛や屈辱を与えた、忘れても許してもいけないヤツラだ。

最近、韓国の文化財史跡でソウルにある「韓国銀行本館」の礎石に書かれた「定礎」という文字が、実は伊藤博文によるものだと判明し騒ぎになった。
国民にアンケートをとったところ、歴史的記録として礎石を保存すべきという人が52.7%、撤去するべきという人が47.3%となり、礎石はかろうじて残されることとなる。

とはいえ国民のほぼ半数が伊藤博文について、その文字でさえも残しておきたくないと考えているところに、憎悪の深さを感じる。
韓国には韓国の価値観や感情があるから、それは仕方なし。
でも日本人としては、伊藤博文が韓国併合に反対していて、1905年のメモに「韓国の富強の実を認むるに至る迄」と書いてあるように、実は韓国の国力が高まることを期待していたことはおぼえておこう。

これについて京都大学教授の伊藤之雄は「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていた事を裏付けるものだ」としている。実際に、この文言は「第二次日韓協約」に盛り込まれ、調印された。

伊藤博文・初代統監

 

6年前、安重根“義士”の生き方や思想をテーマにした韓国の創作ミュージカル『英雄』が中国で演じられた。
その中で伊藤の暗殺に成功した安が「大韓独立万歳!」を叫ぶと、場内はこうなったとハンギョレ新聞の記者が書く。(2015-02-09)

安重根(アン・ジュングン)義士が伊藤博文を狙撃した後に万歳三唱を呼ぶ場面に及ぶと、客席から万雷の拍手が沸き起こった。

ハルビンに鳴り響いた安重根義士の万歳三唱

 

まぁそれはない。
観客には大勢の中国人がいたというが、「大韓独立万歳!」を聞いて一斉に拍手する不自然すぎる中国人なんて、本物の中国人が聞いたらきっとビックリする。
「万雷の拍手が~」はこの韓国人記者の心象風景か、「こう書いたほうが読者がよろこぶ」という社のリップサービスではないだろうか。
そうに違いない。反語。

韓国で伊藤博文は「朝鮮半島を侵略した元凶」で、殺害されたら拍手をしてもいいような「完全超悪」になっている。
この歴史認識に矛盾するから、実は韓国併合に否定的な考えを持っていたという、伊藤博文の”善性”については知らされていない。

今回、伊藤の手による礎石が保存されたことがきまり、朝鮮日報はコラムで、国民が感情的になって撤去しないで、”負の歴史”の保存を選んだことを評価している。

幸いなことに近ごろは、痛ましい歴史を繰り返さないためにもネガティブ遺産を保存すべきだという主張が徐々に説得力を持ちつつある。

恥ずべき歴史も残さなければならない

 

異民族による支配が屈辱的なのは当然。
日本による朝鮮統治を肯定するつもりはないけど、その時代はすべてが闇だったわけじゃない。

1911年に朝鮮総督府は、第一次教育令を公布し、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった。朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用された。

日本統治時代の朝鮮・教育制度 

 

同じく日本の統治を受けた台湾では、その時代に都市が近代化したとか、教育が広く普及したとか肯定的な評価もしている。
朝鮮半島でこれがなかったなんてありえない。
台湾だったら劇の中で、誰か日本人が射殺されると「客席から万雷の拍手が沸き起こった」ということは起こらないはず。

そのことは、旧日本軍の軍人(杉浦茂峰)を神として祀る廟「飛虎将軍廟」が台湾にあって、そこでは『君が代』と『海行かば』が毎日流されていることからもわかる。
韓国社会はこんな施設や考え方を絶対に認めない。

 

 

先日、韓国の裁判官が「漢江の奇跡」とよばれる経済成長で日本の貢献があったと言ったら(これは事実)、メディアやネットから袋叩きにされた。

台湾レベルというのは高望みなのは分かる。
それでも、ネガティブな遺産でも保存すべきという主張が韓国で出てきたのなら、「完全超悪」の歴史認識から抜け出して、統治時代のポジティブな面にもほんの少しは目を向けてほしい。
日本を完全悪とする一方的な態度では、話がまったくかみ合わない。

 

 

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3 件のコメント

  • 伊藤が併合に反対していた事も暗殺されたから最後の防壁が無くなって併合が加速された事も向こうにとってはどうでも良い事なので。
    どうせ定礎も数年経てば撤去されるでしょう。これまでの行いが証明しているし。

  • 韓国の文化を「恨(ハン)の文化」といいます。
    朝鮮王朝の519年間、中国によって一方的に支配されていたからです。その間、定期的に中国に朝貢を行い、中国の皇帝が望めば、女性も送るべきでした。 彼女たちを”貢女”と呼びました。519年間、朝鮮は何もせずに時間を無駄にしたようなものでした。その間、王家やごく少数の貴族だけが華やかな時間を過ごしましたが、民は飢えて苦しい生活を送らざるを得ませんでした。また、豊臣秀吉の日本軍によって7年間国土が焦土化されたり、中国で起きた清国によって朝鮮国王の仁祖が降伏する屈辱を味わいました。民の心に”恨”が生じざるを得ませんでした。そのためか、今も韓国人には被害意識があります。それで、ある事案について自分の過ちを見るよりは、他人に恨む心を先に持つ傾向があります。日本の日帝時代についての記憶も同じです。
    今、韓国では、日本による朝鮮統治時代を”日帝強占期”と呼びます。自国を発展させることができず、異民族に支配されたという失策を認めず、日本に責任を転嫁するのです。
    まだ時間が必要です。
    韓国人は変化しており、いつかは両国間の誤解が解けるものと期待しています。

  • > 民の心に”恨”が生じざるを得ませんでした。そのためか、今も韓国人には被害意識があります。それで、ある事案について自分の過ちを見るよりは、他人に恨む心を先に持つ傾向があります。日本の日帝時代についての記憶も同じです。

    歴史上の経緯から民の心に”恨”が生じることは理解できます。韓国人の、特に昔から虐げられてきた民衆や、かつての高い身分から追い落とされた両班たちに、被害(者)意識があることも、まあ、それなりに理解できます。
    理解できないのは、その先です。その被害は大半の者にとっては歴史上の話にすぎず、現在の自分たち自身が被ったことではないでしょう。なぜ、現在の境遇から向上するため自分で努力しようとせず、他人や他国への恨みつらみを吐露して、口撃して、「金をよこせ」「地震で滅びろ」「原爆を落とせ」と声高に吠えるのですか?
    言葉だけで一時的に溜飲を下げたとしても、そんなことでは何ら問題解決になりませんよ。
    また、韓国人は、自分たちが他国へ及ぼした甚大な被害を認めようとしない。そのことも、日本人にとっては、非常に不信感を抱かせる理由の一つですね。

    韓国人が変化している? むしろ最近は悪い方向へ変化しているように私の眼には見えるのですが。
    誤解はなくなりつつあると思いますよ。相手の本性が次第に理解できてきたことによって。
    それはそれで別に構わないと思います。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。