「ヨーロッパの三大発明」といわれるのが羅針盤・活版印刷・火薬の三つ。
この発明はヨーロッパ社会を革命的に変え、さらに海を越えて世界史にも大きな影響を与えた。
そして「日本の三大発明」といわれるのが、松下幸之助氏の二股ソケット、ブリジストンの創業者・石橋正二郎のゴム足袋、そして亀の子たわしだ。
この3つのアイテムは日本人の生活を劇的に変えてくれた。
そして今日7月2日は「たわしの日」。
1915(大正4)年のこの日、現在の「亀の子束子西尾商店」の西尾正左衛門が亀の子たわしの特許を取得し、それにちなんでこの記念日が爆誕。
画像は「Qurren」
ボクが小中学生のころは週の最終日に上靴を持って帰って、土日にたわしを使って洗うのが習慣になっていた。
そんなたわしとワタシについて語ったところで、本日のお題。
日本人に100年以上、使い続けられてきたたわしはいつ誰が、どうやって生み出したのか?
それをこれから書いていこう。
まずはたわしの主材料となるヤシ(シュロ)について。
日本では平安時代に、ヤシの一種である植物のシュロが中国から持ち込まれてまずは九州に定着した。
シュロはヤシ科の植物の中でも特に寒さに強い。
そのため東北地方まで日本各地で栽培されるようになり、なかには北海道でも育つシュロがある。
こういう事情を知らない知人のインド人が、「日本にもヤシの木があるなんて!」と驚いていた。
シュロ
画像は「Fanghong」
このシュロの繊維はほど良い硬さと柔軟性があるため、むかしからホウキの先っぽの材料などに使われてきた。
さて、たわしに近づいてきたぞ。
シュロ皮(シュロの樹皮)
たわしは”失敗”によって生み出されたとも言える。
東京に住んでいた西尾正左衛門はまず、シュロを針金に巻いた新しいスタイルの玄関マットを考案し販売を始めた。
これはそれまで日本にあった、縄を編んだだけのマットとはちがい、硬いシュロの繊維が靴底の泥をけずり落としてくれる高性能なシロモノ。
これがヒットして西尾がよろこんだのもつかの間、これは耐久性に大きな問題があることがわかった。
何度か使用したり、体重の重い人が乗ると毛先がつぶれて効果がなくなるから、マットは売れなくなり、西尾は大量の返品地獄におちいる。
1907年のある日、困り果てた西尾に転機が訪れた。
妻が返品された玄関マットを切り取って、シュロが巻きつけてある針金を折り曲げたもので障子のサン(木の部分)を掃除しているのを見た彼は、「これだ!」とひらめいた。
使いやすいように改良を重ねて、西尾はついに「たわし」を世に生み出す。
見た目がカメに似ている、カメは水に縁がある、そして亀は長生きして縁起が良いといった理由でこの発明品を『亀の子たわし』と命名。
明治時代に水道が広く整備され、国民の衛生観念が高まっていたこともあってこれが人気を集め、いまでは「日本大発明」のひとつに数えられるほどになった。
ただ現在ではシュロの代わりに、より硬いヤシの繊維(パーム)などが多く使われている。
さらにくわしい情報は亀の子束子西尾商店のHPを。
山のような返品をかかえて困っていなかったら、妻が持っている物を見ても、西尾は何もひらめかなかったかもしれない。
人生を変えるチャンスは実は身近なところにあるけれど、それに気づかず通り過ぎる人が多い。
必死にならないと見えないモノもある。
なんてカッコイイっぽい言葉で締めてみました。
江戸時代にはワラで作ったこんなブラシで物を洗っていた。
画像は「DryPot」
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