【新年ヨロスク!】パラオが親日国の理由・日本との関係史 

 

きょうは7月9日。
日本では1955年のこの日、後楽園遊園地で初の本格的なジェットコースターが登場したことから「ジェットコースターの日」という記念日だ。

視線を日本のずっと南、フィリピンのあたりに向けるとパラオという親日国がある。
この島国では1980年7月9日、住民投票によって憲法が採択されたから、この日はとても重要な日になっている。
日本では「ああパラオね、どこ?」というレベルのあまり知られていない国だけど、パラオと日本には切っても切れないほど深いつながりがあるのだ。

まずパラオの第5代大統領はヒナタ・サカグチ、じゃなかったクニオ・ナカムラ(中村 國雄)という日系人だ。
*任期は1993年~2001年。

それにパラオには日本語由来の言葉が、Basio(場所)、Bento(弁当)、Daiziob(大丈夫)、Dosei(どうせ)など山盛りと言っていいほどたくさんある。
もっと知りたかったら、パラオ語をクリックするですよ。

2015年に天皇・皇后が訪問したときには街のいろんなところに日の丸が掲揚され、パラオ人は「みんな日本が大好きです」と笑顔でインタビューに答えた。
そんな親日国について、その理由となった日本との関係史をこれから見ていこう。

 

下の言葉は日本語の「選挙」がパラオ語になった

 

駐日パラオ大使館はよく日本との関係をツイートしている。

 

「オメデト・アンド・ヨロスク!」はパラオ国民に向けたメッセージだろう。
「明けましておめでとう。ことしもよろしく」とほとんど変わらない。
こんな新年のあいさつをする副大統領が海外にいたとは。

 

 

これがパラオのキホン

1 面積:488平方キロメートル(屋久島とほぼ同じ)

2 人口:21,291人(2015年)

3 首都:マルキョク(2006年10月まではコロール)

4 民族:ミクロネシア系

5 言語:パラオ語、英語

6 宗教:キリスト教

外務省ホームページ「パラオ共和国(Republic of Palau)基礎データ」から

 

現在につながる日本・パラオの関係は、1914年の第一次世界大戦にはじまる。
日英同盟によって日本はイギリスやアメリカなどの連合国側としてこの戦争に参加し、ドイツが統治していたパラオを電撃的に攻め落とす。
そして第一次世界大戦が終わるとパリ講和会議(1919年)で、国際社会の承認を得てパラオは日本の委任統治領になる。

コロールという町を中心に日本の統治はスタートし、多くの日本人がパラオに移住した。
ドイツ時代はほとんど見捨てられていたパラオで、日本は学校や病院、道路などの生活基盤を整備し、社会に貨幣経済を浸透させていく。
これによって1920年代には、コロールは近代的な町へと発展。
同時に現地の人たちに日本語による学校教育を行ったことが、Bento(弁当)、Daiziob、Ioroskuといった現在のパラオ語につながった。
当時の日本人はパラオ人にできるだけ差別のない対応をしていたから、そうした配慮が「みんな日本が大好きです」になったことは間違いない。

太平洋戦争のときパラオにあるペリリュー島は、1万人以上の日本兵が亡くなったというペリリューの戦いの舞台となった。
現在その地にある碑には、米太平洋艦隊司令長官のニミッツ氏によるこんな言葉が刻まれている。

「諸国から訪れる旅人たちよ この島を守るために日本国人がいかに勇敢な愛国心をもって戦い そして玉砕したかを伝えられよ」

日本軍とアメリカ軍による激しい戦闘は、現地の人の生活にも大きな影響を与えたはずだ。
今回の内容にも重なるけど、それについてはこの記事でくわしく書いたので興味のある人はどうぞ。

めっちゃ親日国のパラオ。天皇陛下が感謝された理由とは?

日本時代のコロール

 

パラオは美しくて豊かだ。
ハンパなく透明度の高い海とキレイなビーチ、それにほとんど手つかずの自然もあるから、いまの日本人には海外旅行先として人気が高い。
といってもパラオをチョイスする人は全体的には少ないはず。
だからぜひ多くの日本人が足を運んで、現地の親日っぷりを味わってほしい。

まずはパラオ大使館の、けっこうゆるめのツイッターをチェックするのもいい。

 

 

 

 

ここにある「日本・パラオ友好橋」というのはちょっとワケありのもの。
韓国企業が1977年につくった橋が1996年、突然真っ二つに折れて崩壊して電気・水道・電話がストップ。
クニオ・ナカムラ大統領が国家非常事態宣言を発令するほど社会は大混乱におちいった。
これがいわゆる「暗黒の9月事件 (Black September)」だ。

その後、ほぼ同じ場所に日本のODA資金によって新しく建築されたのがこの橋。
くわしいことは日本・パラオ友好の橋をクリック。
日本はいまパラオの主要な援助国になっている。

 

 

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2 件のコメント

  • 基本、自分が統治する土地の住民を虐待、搾取すれば大きな反動でを引き起こすのだからそんな事をしないのは常識なのだけどそれを理解しない被害者面の多い事。

  • > ここにある「日本・パラオ友好橋」というのはちょっとワケありのもの。
    > 韓国企業が1977年につくった橋が1996年、突然真っ二つに折れて崩壊して電気・水道・電話がストップ。
    > クニオ・ナカムラ大統領が国家非常事態宣言を発令するほど社会は大混乱におちいった。
    > これがいわゆる「暗黒の9月事件 (Black September)」だ。
    > その後、ほぼ同じ場所に日本のODA資金によって新しく建築されたのがこの橋。

    それだけじゃないですね。
    崩壊した旧KBブリッジは、今では、ハングルと英語の碑文が刻まれた記念碑のみが残されているのですが、何者かにより英文から「KOREA」の文字が削られています。
    海外へ行く学生たちに「East Sea」というシールを配布して、海外の図書館で勝手に世界地図の「日本海(Sea of Japan)」という表示の上に貼り付けさせているという

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。