浜松市内の住宅街を車で走っていたら、ある家の玄関先に黒い服を着た2人の男性がいて、足元には小さな炎がゆれていた。
だからてっきり夕食のタンドリーチキンを焼くのかと思ったけど、7月半ばという時期を考えればこれは迎(むか)え火に違いない。
7月・8月のお盆が近づくころ、夕方になるとこうやって火を燃やして、この世に戻ってきた先祖の霊を家に迎え入れる。
この火を目印にご先祖様の魂がやって来るとも、空にたなびく煙をつたって魂が家に来るとも言われている。
どっちにしてもこの小さな火は先祖の霊を迎えるためのもので、このお盆の行事が定着したのは江戸時代だとか。
ただ、いまは本物の火を焚くことができない家もあるから、そういう場合は電気の盆提灯を家の入口に飾ることもアリ。
迎え火で先祖の魂を家に呼んで、お盆の間いっしょに過ごしたあとは、今度は送り火を焚いて魂をあの世に送り出す必要がある。
そんな送り火で日本でいちばん有名なものは京都の「五山の送り火」でしょ。
五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者の霊をあの世へ送り届けるとされる。
ちなみに浄土真宗では、亡くなった人は極楽浄土でハッピーに過ごしていて、お盆になっても現世に戻ってくることはないということになっている。
だから、迎え火も送り火も必要ない。
春の大文字山
ではここでクエスチョン。
この大正・昭和の雰囲気をかもし出している人物はいったい誰でしょう?
この人は戦前の日本を代表する(と言っていいと思う)、民俗学者で国文学者の折口 信夫(おりくち しのぶ:明治20年 – 昭和28年)。
折口は迎え火の目的についてこう説明する。
幽冥界に対する我祖先の見解は、極めて矛盾を含んだ曖昧なものであつた。大空よりする神も、黄泉よりする死霊も、幽冥界の所属といふ点では一つで、是を招き寄せるには、必目標を高くせねばならぬと考へてゐたものと見える。
「盆踊りと祭屋台と」
神や死者の魂がふだんいるところは、空であったり地中の世界(黄泉)であったりと、そのへんはアイマイでよく分からない。
この感覚は現代の日本人も同じだろう。
個人的には魂は空から下りてくると思っていたんだが、実際には地下から上がってくるかもしれない。
どこからどう来るにせよ、魂を招くにはとにかく目立って、わかりやすい目標を作ることが大事だとむかしの日本人は考えたようだ。
だから京都の「五山の送り火」は、高い・明るいの2つの工夫をしているという。
(高く明くと二様の工夫を用ゐてゐる訣である。)
あれは生きている人のものではなくて、死者のための火だからこの2つの要素は欠かせない。
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> ちなみに浄土真宗では、亡くなった人は極楽浄土でハッピーに過ごしていて、お盆になっても現世に戻ってくることはないということになっている。だから、迎え火も送り火も必要ない。
って言うか、もともと仏教と関係ないでしょ? そもそも釈尊は、魂の存在とか、無くなった人が「極楽浄土」で暮らしているとか、全然語っていないですし。
迎え火・送り火は、仏教とは関係ない、日本に固有の風習・宗教・信仰なのでは? 私が見たところでは、浄土真宗の布教地域であるかどうかとは関係なく、尾張(愛知県)の東部から三河・遠州(静岡県)にかけて、送り火・迎え火を焚く家が多いような気がしますが。
茄子などの野菜に爪楊枝を刺して飾るのも、同じような風習なんじゃないですか。