中国旅行で会ったある日本語ガイドが、こんなことを言いやがりました。
「古代の日本にとって中国は先生のような国でした。だから日本人は、中国にあるものは全て日本へ持って帰ろうとしたんです」
はは。なわけねーじゃん、というのが今回の話。
「大三元」という言葉はマージャン用語として有名なだけではなくて、そんな名前の中国料理店やラーメン店が日本各地にある。
これは一体どんな意味なのか?
中国ではむかし科挙という官僚の選抜試験(いまでいう国家公務員試験)が行われていて、それには次の3つの試験があった。
郷試(きょうし):科挙の地方試験
会試(かいし):郷試に合格した人が次に受ける中央での試験
殿試(でんし):会試の合格者が受ける最終試験
そして郷試の首席合格者を解元、会試の首席を会元、殿試の首席を状元とよんで、3つの試験すべてでトップ合格することを「三元」という。こんな偉業を達成した人は長い中国の歴史で20人もいない。
マージャンの「大三元」の由来がこれだ。
日本は歴史的に中国文化の影響を強く受けてきた。
といってもそれはガイドの言う、「中国にあるものなら何でも欲しい!」という雑食ではなくて、日本に必要なものを取捨選択し、イラネと思ったものは採り入れなかった。
纏足や易姓革命なんてものを日本は採用しなかったし、そのほかにも歴史作家の陳舜臣氏がいくつか挙げている。
日本は中国からさまざまな文物を摂取したが、ついに採り入れなかったものに、科挙や宦官などいろいろあるが、町ぜんたいを城壁で囲む城郭都市の形式も、その一つであった。
日本で城といえば、領主とその部下のサムライのたてこもる場所にきまっていた。ところが、中国では町がすなわち城なのだ。「日本的 中国的 (祥伝社) 陳舜臣」
だから中国語で「城」はキャッスルではなくてシティーの意味。
東アジアのベトナムや朝鮮は科挙をやっていたけど、日本はこれを採用せず、貴族や武士が世襲制で政治を行っていた。
でもマージャンは日本人に必要な娯楽だったから受け入れて、いまでは大三元という言葉も広く使われている。
三元といえば科挙のほかにもある。
上元(正月15日)・中元(7月15日)・下元(10月15日)の三日は道教の祭日で、合わせて「三元(三元信仰)」という。
きのう15日がまさに中元で道教においてこの日は、善悪を分別して人間の罪を赦(ゆる)してくれる神「地官大帝」の誕生日だ。
だから中元とはもともとこの神の生誕を祝う日で、同時に自分の様々な罪も赦してもらっていた。
地官大帝は死者の罪も赦してくれるから、亡くなった人の罪の浄化も願ったという。
この道教の祭りが仏教の盂蘭盆会(うらぼんえ)と結び付いて祖先崇拝の行事となり、いまの日本の「お盆」となった。
道教は必要なかったのでノーサンキュー、でも日本は中元の習慣(か言葉)は受け入れて、いまではお世話になった人にプレゼントを贈る「お中元」として社会に定着している。
江戸時代にはこの日に先祖の霊を祭って、正月から半年のあいだ無事に生活できたことを祝い、仏さまにはお供え物をした。
まためでたい機会だから、お米や菓子、果物などを知人に贈る習慣があって、それが現在のお中元となる。
丁寧語の「お」を付けたのは、これが相手へのプレゼントだからだろう。
日本は必要のない中国文化は拒否して、受け入れてもそれを日本化して別ものにすることがよくある。
マージャンの大三元は日中で同じ意味だろうけど、お中元の風習はまったく違う。
解元・会元・状元の3つは知らなくても「大三元」なら知ってるし、三元は知らなくても真ん中の「中元」なら知ってる。
日本人はこんな感じに中国文化のつまみ食いをよくしているのだ。
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世界で日本とインドだけが行うこと・原爆犠牲者への黙とう~平和について①~
宦官、纏足。
> 「古代の日本にとって中国は先生のような国でした。だから日本人は、中国にあるものは全て日本へ持って帰ろうとしたんです」
ははは、日本語ガイドのくせにそんな話を日本人に向かって平気で言い放つ所が、その中国人もであることの証明ですね。そんなことを言われたら、私なら「古代は(もしかすると)そうだったのかもしれないが」とでも言ってやりますけど。
そういう場面に遭遇するのが嫌なのと、あの「清潔感の無さ」が耐えられないので、私は大陸中国には行ったことがありません。また、今後も行くつもりはありません。(でもそれなりに中国語は勉強していますよ。台湾にいった時に現地でオーディオ付き教科書を買いました。)
まぁただ、その日本語ガイドが典型例でもあるように、「誤った自信」を身につけた中国人が増えていることは心配ですね。もしかすると、その「誤った自信」ゆえに、いずれ中国が全世界に向かって「喧嘩を売る」ことになるかもしれない(かつての日本がやったように)。今のところそれが起きる確率は五分五分だろうと私は見ています。