静岡県にある大学で学んでいて、いまは母国に戻ったドイツ人が知人にいる。
「日本語を忘れたくないんですっ」という彼の思いもあってたまにスカイプで話をしていて、このまえは日本で見た盆栽の話題になった。
ちなみにドイツでこの日本文化の人気はわりと高いようだ。
「ボンサイ」という日本語がそのままドイツでも使われているし、ホームセンターにはよくボンサイ・コーナーがあるらしい。
でも、それは中国から伝わった文化で、「盆栽」という漢字も元々は中国語であることを教えると、「ええっ、ホントに!」とわりと衝撃を受けたもよう。
*ひょっとしたら、日本語の「盆栽」が近代になってから中国に逆輸入されたかもしれん。
平安時代に唐から、土・石・草木などを使ってお盆の上に自然の景色を作って鑑賞する「盆景」が伝わって、鎌倉時代になると多くの武士がこれをするようになって日本に盆栽が広がった。
くわしいことは 盆栽 を見てくれ。
そういえば明治時代に日本を訪れたチェンバレン(たぶんイギリス人)もこんなことを言ってたな。
日常生活の隅々まで、ありふれた品物を美しく飾る技術、都会の単調を破る公園の桜花、整然と菊花の咲いている庭園に日本の魅力がある。中でも美しい自然の眺めに心を奪われる。
「逝き日の面影 (平凡社)」
知人の香港人に衝撃を与えた「ボンサイダー」
そのドイツ人が日本で生活していたきに楽しみにしていたのが、大学までの道の途中できれいな盆栽を見ることだった。
通学路にある家のおじいさんが盆栽の手入れをしていて、その小さな芸術作品が家の前にいくつも飾られていて通行人の目を楽しませていた。
日本文化が大好きな彼は毎朝これを見て楽しい気持ちになり、家の人には感謝して、同時にとてもハラハラしたと言う。
なんでハラハラ?と思ったらこんなことを言う。
「だってすごく素晴らしいものだったから、いつか誰かに盗まれると思った。ドイツであんな盆栽を通行人の手の届くところに置いといたら、きっとすぐになくなるよ。だからある日突然、ボクの楽しみが消えてしまうんじゃないかと思って心配だったんだ。」
なるほど、その発想はなかった。という感覚がドイツ人からしたら平和ボケか。
まえに京都旅行で会ったドイツ人が、「日本では自動販売機がそこら中にあるのが印象的。ドイツだったら場所を考えて設置しないと、破壊されて金と商品を奪われる」と話していたのが印象的だった。
そんなところで「盆栽の無料鑑賞サービス」はチャレンジかも。
外国人と一緒にどこかの観光地へ行くと、「マジかっ!」とよくビックリされるのがこれ。
こんな無人販売所を見つけて、「日本ではこのやり方が成立するんだ」と感心する外国人はよくいる。
あるアメリカ人は「ウチの国だったら、100円だけ入れてすべて持って行かれる」と笑うし、ベトナム人や中国人は「使えそうなら、木材も盗まれますね」と真顔で言う。
ただ、ホルホルしてもいいけど、無人販売所がある国は世界で日本だけではない。
知人のドイツ人の話だと、故郷の村にはこうやって花を売るスタンドがあるし、「そういえば」と言ってこんなものを教えてくれた。
彼が住んでいたアーヘンという都市では読み終えた本を入れたり、好きな本があったら自由に持っていっていいこんなボックスが街中にあるという。
きのう7月18日をふくめて、毎月18日は「防犯の日」。
1をボウ(棒)に見立て、それに8(犯)を組み合わせたというかなりのチカラ技だ。
とにかく毎月この日は、みんなが防犯対策を見直して「安全・安心」に暮らしていこう、という日になっている。
日本は地震や洪水といった自然災害は多いけど、盗難や殺人といった”人災”はすくなくて、治安の良さはいつも世界トップレベルにある。
日本に興味のある外国人が集まるSNSのコミュニティーに最近、どこぞの外国人が「あなたは日本の何が好き?」という質問を投げかけると、こんな返事が寄せられた。
ではここで歴史クイズだ。
3世紀ごろ(弥生時代)の日本の地理・風俗・社会などについて書いてある文献は一体なに?
答えは、古代中国人が書いた魏志倭人伝(ぎしわじんでん)。
日本を紹介する文献としては世界最古のこの書にはこんな記述がある。
「いま倭の水人は、好んで潜って魚やはまぐりを捕らえ、体に入墨をして、大魚や水鳥の危害をはらう。後に入墨は飾りとなる。」
「倭の地は温暖で、冬も夏も生野菜を食べる。みな、裸足である。」
入墨や裸足の習慣は変わったけど、日本人が昔から「魚民」であることは不変。
魏志倭人伝にはこうもある。
「盗みかすめず、訴え事は少ない。」
弥生時代の日本では、盗みをする人や争いごとが少なかったらしい。
ドイツ人がいまの日本を見ても、同じ印象を受けるのでは?
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