アヘン戦争と下関戦争の敗戦にみる、日本人と中国人の違い

 

きょう8月5日は海外では「世界ビール・デー」(International Beer Day)で、知人・友人と楽しくビール飲んで、いつも美味しいビールを作ってくれる人たちに感謝する日。

で日本の歴史に目を向けると、この日は下関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)が始まった日になる。
1864年8月5日にイギリス、フランス、アメリカ、オランダの連合艦隊17隻が下関を攻撃し、「長州 vs 四ヶ国」の対決がぼっ発。
といってもこれは山口県が欧米4か国と戦うようなもの、1人のイキったヤンキーがプロの格闘家集団とケンカをするようなもので、はじめから長州藩の敗北はきまっていた。
でも、世の中なにがどう転ぶかわからへん。
結果的にはこのときボッコボコにやられたことで、長州藩はその後の日本で主役になるという幸運を手に入れたのだから。
でもそのことを書く前に、まずは下関戦争の少し前、1840年に中国で起こった戦争について述べよう。

 

先月7月1日、中国共産党の結党100周年を記念して行われた式典で、習近平国家主席は国民に向けた演説でこう言った。

「1840年のアヘン戦争から中国はだんだんと半植民地、半封建社会になり、中華民族は類例のない災難に見舞われた」

アヘン戦争でイギリスに負けたことから中国の悪夢が始まる。
これでイギリスに香港をとられ、欧米諸国に様々な利権や主権を奪われて、中国は半植民地状態におちぶれる。
それが「類例のない災難」で、「この時から中華民族の偉大な復興は、中国人民の最も偉大な夢になった」と周主席は強調。
アヘン戦争の敗北は中国にとってはただの過去の出来事ではなくて、決して繰り返してはならない「恥辱の歴史」として現在にも影響を与え続けているのだ。
その意味では現代中国の出発点とも言える。

 

19世紀中ごろ、イギリスはインドのアヘンを清に輸出して、笑いが止まらないほどの大もうけをしていた。
でも清がいつまでもその状態を許すはずもなく、イギリスに対してアヘンの全面禁輸を告げ、イギリス商人のアヘンを没収して海に捨ててしまう。

*この記事のトップ画像は上海の博物館に展示されていた、アヘンを吸う20世紀初頭の中国人のようす。

これに怒ったイギリスと清との間で、1840年にアヘン戦争がぼっ発。
でも近代的な武器を持ち、訓練を受けたイギリス軍に前世紀の中国軍が勝てるはずもなく、この戦争は「おまえはもう死んでいる」状態で始まる前から終わってた。
当時は世界最強か、それクラスの大英帝国に清が戦いを挑むというのは、竹やりを持って戦車に突っ込むようなもの。これ以上ない無理ゲー。

 

イギリスの軍艦を受け、炎を上げて沈む清軍のジャンク兵船

 

アヘン戦争についてくわしいことはこの記事をどうぞ。

【中国も悪いんですよ】アヘン戦争でイギリスに完敗した原因

 

このまさかの敗戦に、中国政府は言葉では表現できないような大きなショックを受けた。のならよかったのですよ。
けど実際には、これを深刻に受け止めた人はごく少数にすぎない。
戦場はおもに首都・北京から遠く離れた広東だったし、中国が異民族に敗れることは過去にもあったから、アヘン戦争の結果は、全体的には中国人の意識を変えることはできなかった。

だから負けたにもかかわらず、中国人はイギリスや欧米諸国を文明化していない、劣った国だとバカにしていた。

広東システムに基づく管理貿易は廃止させられたものの、清は、依然として中華思想を捨てておらず、イギリスをその後も「英夷」と呼び続けた。

アヘン戦争

古代中国なら世界最強の時もあったかも

 

下関戦争(四国艦隊下関砲撃事件)で、イギリスをはじめとする4か国に惨敗し長州藩はこの点で中国とは決定的に違っていた。
欧米列強と戦って初めて「これは絶対に勝てる相手ではない!」と長州人は思い知らされ、そのあとイギリスと一緒にビールを飲むような仲良しになってその力を利用するようになる。

下関戦争の敗戦を受けて長州藩は攘夷が不可能であることを知り、以後はイギリスに接近して軍備の増強に努め、倒幕運動をおし進めることになる。

下関戦争・戦後 

 

そのあと長州が倒幕の中心藩となってこれに成功し、明治政府でも長州出身の人間が強い影響力を持ったのは歴史の授業でならったはずだ。

下関戦争の敗戦で目を覚ました長州と、アヘン戦争に負けても眠り続けた清。
どうして差がついたのか…慢心、環境の違い。
いや、それは「中華思想」の有無だ。
中国人は中国こそが世界の中心であり、中華民族の文化や思想こそ最も価値のあるものであると考えていた。
だから相手と自分の実力の差を正確に認識することも、実は自分たちの方が劣っていることを受け入れることもできなかった。

古代は中国に学んで国を発展させた日本は、強いものは強い、すごいものはすごいと素直に認めて相手に学ぶ謙虚さがあった。
日中のその違いがハッキリ出たのがアヘン戦争と下関戦争だ。
このあと欧米に学んで近代化に成功した日本は第一次世界大戦後に「世界五大国」の一国となり、中国は「類例のない災難に見舞われた」という半植民地となる。
だからこそ、この屈辱や反省を忘れないいまの中国はオソロシイ。

 

 

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7 件のコメント

  • > だからこそ、この屈辱や反省を忘れないいまの中国はオソロシイ。

    うーん、どうですかね。「屈辱」はともかく、「反省」の方はもうすっかり忘れてしまったのでは?
    反省を忘れたからこそ、国力がついてくると傍若無人に振る舞うことになるのでしょう。
    このまま中国の経済力・軍事力が成長して世界最大になると、かつての「反省」を忘れてしまって「誤った自信」を身につけた挙げ句、自国の勢力範囲を現状よりも拡張しようとする動きが出てくる可能性が高いですね。
    もしそうなった場合、日本が進むべき道はどの方向なのか、選択を迫られることになります。
    だからこそ、オソロシイと思いますよ。

  • 2枚目の画像ですが、奥の軍艦は中華民国海軍の寧海(ニンハイ)級巡洋艦 寧海と思われます。
    時代が100年ほど違いますね。
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%A7%E6%B5%B7%E7%B4%9A%E5%B7%A1%E6%B4%8B%E8%89%A6

    アヘン戦争の時代は流石にイギリス海軍も外輪船です。
    まあ中国のジャンク船とは比較になりませんが。
    https://en.wikipedia.org/wiki/Nemesis_(1839)

    アヘン戦争の日本語wikiのトップにある有名な絵をご参照ください。
    リンクのページも含め、修正をご検討頂けると幸いです。

  • ご指摘ありがとうございます!
    こちらのカン違いでしたので、修正しておきました。
    はじめの画像の絵は上海の博物館でガイドから、アヘン戦争のものと説明を受けた気がしたのですが、調べてみるとたしかに違いますね。
    また何かお気づきの点がありましたら、ぜひ教えてくださいませ。

  • こちらこそご指摘ありがとうございます。
    いまから思えば19世紀半ばにあの艦船はないですね。

  • ドヤ顔で説明は、上海の博物館のガイドさんに対してです。
    書き方が悪く申し訳ありません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。