飛行機が事故で墜落し、乗っていた女子高生たちは何とか無人島にたどり着く。
そして飲み水をつくったり、魚や昆虫などをつかまえて食べながら、救助がくるまでみんなで協力して生きていく。
…というのがアニメ『ソウナンですか?』の内容なんだが、もしそんなことが本当におきたら、現実はそんなに甘くない。
AFPの記事(2021年8月12日)
船故障で家族15人22日間漂流 7人餓死 インド洋の悲劇
モザンビーク沖にあるコモロ諸島を出た家族15人を乗せた船が故障し、3週間もインド洋を漂流している間に大人と子どもの7人が餓死した。
事故がなければ2日で目的の島に着くはずだったのに、激しい波に「なすすべもなく」翻ろうされながら、1100キロ以上離れたケニア沿岸の都市に漂着。
遺体は腐敗してきたから、途中で海に投じるしかなかったと生存者は語る。
生魚と海水で何とか命をつないだ8人は、発見されたときには意識不明で脱水症状だったという。
この悲劇に日本のネットの声は?
・半分餓死で半分は生き残った
意味深な状況
・映画化決定
・>遺体が腐敗してきたので、海に遺棄せざるを得なかったと話している。
あっ…(察し
・餓死って苦しいんだろうか?
死ぬ直前て本人はどんな感じなんだろう
・自分の家族が目の前で衰弱して死んでいくのをどうしょうもなく自分もその内死ぬんだろうと思いながら見てるだけとか、凄い無力感と絶望感だろうな
飲み水・食べ物がなくなれば、体力のない人から先立つのは仕方ない。
それに死体の腐敗臭はすさまじいというから、海に投じるしかなかったというのもやむを得ない。
でもコメントを見ていると、生きるか死ぬかの究極状態で起こり得る、もう一つの“恐ろしい可能性”を感じ取っている人が多い。
それは1944(昭和19)年に北海道で起きた「ひかりごけ事件」に通じる悲劇だ。
1943年の12月、7人が乗った日本陸軍の船が根室港を出て、小樽市へ向かう途中に大シケにあい座礁する。
知床半島に上陸した7名を待っていたのは、雪・氷・吹雪が容赦なく襲う北海道の冬。
船長と18歳の船員は番屋(漁民の作業場であり宿泊小屋)にたどり着いたものの、バラバラになったほかの船員は後に全員が死亡した。
積雪と断崖によって番屋からの移動は不可能で、食べ物のない極寒地獄のなかで体力が奪われていき、18歳の船員が息絶える。
翌年2月、流氷を使って船長が数日かけて脱出に成功し、羅臼町の漁民に助けを求めたことからこの遭難事件が明るみになった。
番屋にあった味噌や漬物、海岸に流れ着いたアザラシの肉を食べて生き延びたという船長の話を聞いて、知床岬の冬の厳しさを知る住民は驚がくする。
でも船長が遭難した船から脱出し、生き残ったことは事実。
それで、この奇跡のサバイバルは日本全国に知られるようになる。
ただ船長の言葉や当時の状況などに不自然なところがあったことから、ある疑いが浮上し、それを前提に捜査が進められた。
知床岬にある、当時とは違う近代的な番屋
結論から言うと予感的中で、船長は亡くなった船員の肉を食べて命をつないだのだった。
なぜ人肉を食べたか聞かれた船長は、横になっている死体を見ているうちにどうしても我慢できなくなり、股(また)のあたりを包丁でそいで味噌で煮て食べたと言う。
その味は「いまだ経験したことのないほどおいしかった』と話し、まさかりで頭を割って脳みそを食べた時には「もっとも精力がついたような気がした」と述べたという。
ただ、「たった二人しかいないところで、二人して励まし合って生きようとしてた」と話す船長は殺害を断固否定。
そうしなければ生き延びることができないような状況に追い込まれた人を、通常の倫理観や善悪で判断するのは不可能だ。
日本の法律では人が人を食べる事態を想定していなかったため(いまは知らない)、船長を「食人罪」で起訴することはできず、釧路地裁は死体損壊事件として処理した。
この「ひかりごけ事件」は、食人によって刑を科せられた日本初の事件とされる。
15人中7人が餓死して海に遺棄されたという話にも、ひょっとしたら、絶対に言えないような事態があったかもしれない。
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コメント
コメント一覧 (3件)
カルアデスの舟板かな。
古くはウルグァイのラグビーチームが乗った空軍機がアンデス山中に不時着した事故では生存者32名が救出される70日後に16人に減るまでに先に亡くなった人を食べて生き延びてましたね。
仮に食人をしたとすれば、血抜きや内臓の処理で出た血液が全体に付着してそうなものですが、見つからないのが不思議ですね。
実はその件についても書こうとしたのですが、長くなったので別の記事に書くことにしました。