日本にお茶を広めた2人:僧の栄西と科学者の辻村みちよ

 

きのう9月17日、グーグルのトップ画面を見ると、白衣を着て実験をしているようなアジア人女性と湯気の出ているお茶の絵があった。
グーグルさんはときどきこんなふうに、誰かの記念日を教えてくれる。
他県の人ならいざ知らず、静岡という茶県に住む人間としては気になったから、クリックすると辻村みちよという日本人女性のページへとんだ。
「そうか辻村か。で誰?」と思って説明を読むと、この人は日本初の女性農学博士で有名なお茶の研究者だったことが判明。
ということで早速、この人の業績を書く前に、まずは日本のお茶の歴史について確認しておこう。

 

静岡にはタバコの形をしたお茶「チャバコ」の自販機がある。

 

日本に中国からお茶が伝わったのは平安時代とされる。
でもそれを飲んだのは京都にいた上級国民(貴族)ぐらいで、日本各地に広がることはなかった。
お茶が広く知れ渡って喫茶の習慣が定着したのは、臨済宗の開祖である仏教僧・栄西のおかげ。
鎌倉時代のこのお坊さんは、京都の建仁寺を開山したことでも知られている。

 

栄西(1141年 – 1215年)

 

中国(南宋)で禅宗を学んで日本へ帰国した栄西は、禅宗と一緒に喫茶も人々に伝えた。
茶のカフェインがもつ眠気覚ましの効果によって夜遅くまで仏教修行ができるし、これはとても体に良い薬だと人々に宣伝する。

当時の考え方は1つの病気に対し、1つの薬しか効かないというのが主流だったけど、栄西はお茶をすべての病気に効く「万能薬」のように考えた。
で、茶について説明する日本最古の書「喫茶養生記」を書いた栄西は、茶を「養生の仙薬」と表現する。
茶は五臓のなかでも特に大事な心臓に良く、飲水病(糖尿病)、中風、不食、瘡、脚気の五病にも効果があると、「それ盛ってません?」と思ってしまうようなことを書く。
1214年に、「うっ、気持ち悪い…」と将軍・源実朝が二日酔いに苦しんでいるとき、一服の茶とこの喫茶養生記を献じたと『吾妻鏡』にある。

こうした宣伝がうまくいって、鎌倉時代から日本で喫茶の習慣が広がっていったのだ。

 

栄西

 

栄西が唱えたお茶の効果
茶を飲めば、神々が守護してくれるとか悪魔が降伏するとか、やっぱりかなり盛ってる。

 

科学のなかった時代、栄西のいう五臓調和は「きっとそうだろう」という想像によるところが大きい。
お茶が健康に与える効果を科学的に証明したのが、下の辻村 みちよ(1888年 – 1969年)だ。

 

 

1917年(大正6年)に創立し、アジア初の基礎科学総合研究所として名高い理化学研究所で、辻村は三浦政太郎との共同研究で、緑茶には多くのビタミンCが含まれていることを発見する。
健康を求める気持ちは人類共通。
この発見によって、北米向けの日本茶の輸出が拡大した。
緑茶に含まれる化学成分をさらに研究した辻村はカテキン(茶カテキン)を世界で初めて発見し、さらに緑茶からタンニンの結晶を取り出し、その化学構造を明らかにする。
「五臓調和」とまではいかなくても、お茶が健康に良いことは科学的な事実だった。

こうした業績が認められ、辻村みちよは日本初の女性農学博士となる。

そんな辻村は著書『茶の話』でこう説く。

茶はきわめて淡々たる存在である。しかし、私たちの生活から茶を取り去ってみたらどんなものであろうか。
茶がどれほどか私たちの生活を豊かにし、生活ときり離し得ぬものであるかを改めて知ることができるであろう。

 

日本人にとってお茶が生活必需品になったことには、栄西と辻村みちよの功績がデカい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。