日本とタイの特別な日に、タイがいま全身全霊で必要としているワクチンが届けられたことで、タイ大使館がこんな感謝のメッセージを公開した。
今日は「日タイ修好134周年」日本とタイが正式に外交関係を結んだ日です🇹🇭🇯🇵
タイは日本の方々の変わらない温かい友情に感謝しています☺️この特別な日に、日本からタイに30万回分のワクチンの再支援がありました🛩心から感謝の気持ちを表します🌈#134年 #日タイ #thailand #japan pic.twitter.com/MKm8N7xmhn
— Royal Thai Embassy in Tokyo (@rtetokyo) September 26, 2021
これに日本のネット民の反応は?
・国内医療は大丈夫なのかね。見栄張るのはいいがまず自国民やぞ
・いい話だなあ
・外面だけいいこの国
・日本からインドに大量に寄贈→需要急増で生産追いつかない!→台湾から日本に寄贈→日本からタイに寄贈なんなんこの流れ
・必殺お中元回し
・オイオイ…冬の事は考えてんのやろな
ツイートにあったように先日の9月26日は、日本とタイが正式な外交関係を結んで、現在につづく日タイのいい関係がスタートしてちょうど134年になる。
1887年(明治20年)のこの日、「日暹修好と通商に関する宣言」(日・タイ修好宣言)が出されて日本とタイの国交が樹立。
当時のタイは「シャム」といい、日本では漢字で「暹羅」(シャムロ)と表記していたのだ。
さて、ほのぼの話はココマデ。
ここからは国際社会の厳しい現実についてだ。
タイと友人になってから45年後、日本はこれ以上ないほどの特大ピンチを迎えることになる。
その原因はリットン調査団の報告にあった。
1931年に満州(中国東北部)の柳条湖近くで、日本の関東軍が南満州鉄道(満鉄)の線路を爆破し、柳条湖事件が発生すると日本と中国との対立が深まった。
この紛争を解決するために国際連盟は、エルヴィン・スミスを団長とする調査兵団を派遣し巨人の動向を…、そうじゃなくて、イギリス人のリットンを団長とする調査団を満洲に派遣した。
調査の結果、
「満洲に日本が持つ条約上の権益、居住権、商権は尊重されるべきである。国際社会や日本は支那政府の近代化に貢献できるのであり」
と日本に配慮する部分もあったけど、柳条湖事件を日本の自衛とは認めず、「満洲国の承認」という日本の主張も否定した。
これを受けて開かれた国連総会でも、圧倒的多数の国がリットン調査団の見解を支持する。
この内容は高校世界史でならう超重要事項だから、おぼえておこう。
国際連盟脱退
1932年10月、国際連盟理事会は13:1で満州国からの日本の撤兵を勧告。国際連盟総会も1933年2月、リットン報告書に基づく対日勧告案を42:1で採択。日本は3月に連盟脱退を通告した
「日本史用語集 (山川出版)」
このときの日本代表・松岡洋右の演説がおもしろい。
壇上に立った松岡は世界中の国に向かって、「狂ヘル輿論」という表現を使って日本の立場を正当化した。
約2000年前に「狂った世論」がイエス=キリストを十字架にかけたように、いまの国連の「狂ヘル輿論」(狂った世論)が日本を十字架にかけようとしている。
しかし誤った世論は数年のうちに、必ず変化するであろうと熱弁。
松岡洋右は国連の場で、日本を処刑されるキリスト、欧米諸国をその処刑人になぞらえて堂々と日本の立場を主張したのだ。
でもそんな意見が世界を動かすはずもなく、「42対1」と日本以外すべて反対という壮絶なアウェーとなる。
これに失望した松岡は会場から出て行き、日本政府は連盟脱退を正式に通告した。
ただこのとき一か国だけ、タイ(シャム)だけが賛成・反対でもなく、「棄権」を選択して世界中を驚かせた。
タイは絶妙な外交バランスの持ち主だ。
だから、日本と欧米のどっちのサイドにつくかハッキリしないで距離をとったのだろう。
もちろんこのアイマイ戦略には孤立というリスクがある。
でも世界で孤立した日本は、そうなると事前に予想していたから、タイだけがそうではなかったと知って喜びを爆発させた。
欧米諸国にとってもこれはまったくの想定外。
1887年の「日暹修好と通商に関する宣言」以来、タイに対する日本の親近感や信頼感がいちばん高かったのはこのときだろう。
日本とタイがこれからも、お互いありがタイ友人でありますように。
現代のタイのようす
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