【解放 or 支援】東南アジア諸国が日本に友好的な理由は?

 

2日前の10月6日は「国際協力の日」だった。
1954(昭和29)年のこの日、日本は発展途上国への技術協力をおこなう国際組織「コロンボ・プラン」に加盟し、政府開発援助(ODA)を始めた。
つまり、日本はこのとき初めて援助する側となって、本格的な国際協力を開始したってこと。
1945年に太平洋戦争が終わったとき、貴重な働き手だった多くの若者は海外の戦場で亡くなり、米軍の爆撃を受けて国土は荒廃していた。
このときの日本は世界最貧国のひとつだったと思う。

それが10年もたたないうちに日本はよみがえり、今度は支援国になったのだから、10月6日の「国際協力の日」には重要で誇らしい意味がある。

 

タイの首都バンコクの地下鉄にあったプレート。
日本の技術支援があったことを伝えている。

 

さてネットを見てるとときどき、こんな投稿がある。

「先の大東亜戦争は、欧米に植民地支配されていた東南アジア諸国を解放したのです。その事実は親日国の多さとして現れています。」

今でいう太平洋戦争を当時の日本は「大東亜戦争」と呼んでいた。
あの戦争を「解放戦争」と考えるのは個人の自由なんだが、それを東南アジアの人に向かって言わないほうがいい。
彼らは「解放された」なんて思っていないから。

 

太平洋戦争の末期、フィリピンにいた新聞記者の石川 欣一(いしかわ きんいち)は日本の敗戦を知ったあと米軍に降伏した。
戦争捕虜となって米軍のトラックで運ばれるとき石川氏は、この先、日本に恨みを持つフィリピン人から石を投げられるかもしれないから注意しろと米兵から言われる。
果たしてその場所に来ると、日本人はフィリピン人から激しい憎悪を向けられた。

右手で自分の首を斬る真似をしながら「何とかしてパタイ」と叫んでいる。お前等は首を斬られて死ぬんだといってるんだろう。バラバラと石や土塊が投げられ、警乗兵は銃を構えた。この時ばかりでなく、米国兵は実によく我々を守ってくれた。

「比島投降記 ある新聞記者の見た敗戦 (石川 欣一)」

 

現地の人からアメリカ兵に守ってもらった当時の日本人からすると、「欧米に植民地支配されていた東南アジア諸国を解放したのです」と言われても困るかも。

あの戦争や日本について、東南アジアの人たちはどう思っているのか?
この答えは複雑で、どんな日本人と接したかによって印象はさまざま違う。

たとえばミャンマー旅行でお世話になった日本語ガイドの祖父は子どものころ、村にやって来た日本兵からお菓子をもらっていたから、日本人が大好きだった。
でも祖母は子どものころ、「日本軍が来た!」という知らせを聞くと、襲われないよう両親とジャングルへ逃げていたから日本人が大嫌い。
そのガイド自身は、戦後に日本の支援を受けて建てられた学校で学んでいたから、日本に好印象を持っていたし、それが日本語を学ぶきっかけにもなったという。

 

でも、なかには日本軍を「欧米支配から救ってくれた解放軍」と感謝している人もいるかもしれない。
ネットにそう書き込んだり、日本人相手にそう話すのならまだしも、それを前提に、インドネシア人やベトナム人などの東南アジアの人たちと接するのはやめるべき。

ベトナム独立宣言にある言葉を見てみよう。

日本人が連合国に降伏したあと、我々の全部の仲間は我々の国家主権を回復して、ベトナム民主共和国を起こす為に蜂起した。
真実は、我々はフランスからではなく、日本から我々の独立をもぎ取った。

ベトナム独立宣言

 

インドネシア人やミャンマー人なども、「日本が降伏したあと、自分たちの手で自国を植民地支配から解放した」という教育を受けていると考えたほうがいい。
「解放してあげた」なんて態度だと、きっと良い友人にはなれない。
ただ日本軍がアジアを支配していた欧米を敵にして戦った結果、東南アジア諸国の独立が容易になったという面はある。

 

過去はどうあれ、いまの東南アジアの人たちはめっちゃ親日的だ。
平成29年にASEAN10カ国(ブルネイ,カンボジア,インドネシア,ラオス,マレーシア,ミャンマー,フィリピン,シンガポール,タイ,ベトナム)を対象に行った対日世論調査の結果を外務省が公開している。

ASEAN10か国における対日世論調査

現在の日本に対する印象はバツグンだ。
「とても友好関係にある」と「どちらかというと友好関係にある」と回答したは、ASEAN全体で89%(前回調査75%)で、この調査報告には「日本との関係に関し肯定的なイメージが広範に定着していることが示されました」とある。

「日本は信頼できるか?」に対してASEAN全体で91%(前回調査73%)が「とても信頼できる」、または「どちらかというと信頼できる」と回答している。

東南アジア諸国が日本に友好的で高い信頼を寄せるワケは、戦後の日本がこれらの国の発展を支援してきたことがとても大きい。
そしてそのターニングポイントは、支援する側となった1954年にある。

 

ミャンマーのバス
「From the people of Japan」の文字が見える。

 

かつては石を投げられたフィリピンの、現在のようすがこちら。

 

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。