韓国で嫌われる福沢諭吉、ハングル使用と朝鮮近代化を考えた

 

きょうネットを見ていたら、こんなメッセージを発見。

「오늘은 한국의 “한글날”입니다」

これは「父危篤、”すぐ帰れ”」ではなくて、「今日は韓国のハングルの日です」という日本語があったからそういう意味なんだろう。

日本では「ジュウ・ク」で塾の日とか熟成肉の日になっている10月9日は、韓国ではハングルという文字が生まれた記念日だ。
朝鮮時代の王・世宗が1446年のこの日、訓民正音(いまのハングル)を公布したことにちなんでこの日ができて、いまでは韓国の祝日になっている。
*訓民正音は「民を訓(みちび)く正しい音)」の意。

ハングルについて高校日本史でこう習う。

訓民正音(ハングル)

世宗が制定した朝鮮の国字。
漢字による朝鮮語表現の不十分な点を補うために創設され、1446年に同名の条例で公布された。
「民を訓く正しい音」の意で、主に民衆のあいだで使用された。1894年に公文書に採用され、20世紀初頭になって「ハングル」(偉大な文字)」と呼ばれるようになった。

「日本史用語集 (山川出版)」

 

1446年に公布されたのに、なんでその後、450年ほど公文書に採用されなかったのか?
ちなみにこの文字が登場したころ、日本では銀閣寺で有名な足利義政が将軍になっている。

 

 

いまの韓国では一般的に、日本の植民地支配によって固有語であるハングルが”奪われ”、日本語を強要されたと考えられている。
でも日本では、朝鮮語研究・ハングル専用運動団体である「ハングル学会」の設立を日本の朝鮮総督府が認めたことなどから、統治時代にハングルが国民に広まったとする逆の見方がある。
現在に続く「ハングルの日」は日本統治時代の1928年に、ハングル学会によって制定された。
*1926年の「カギャの日(가갸날)」が、28年に「ハングルの日」になる。

 

さて現在の韓国社会において、日本のミスター1万円・福沢諭吉はめっちゃ嫌われている。
というのは、近代化を進めず、古い社会体制・価値観のままでいる朝鮮・中国について福沢は『脱亜論』でこう書いたから。

「悪友を親しむ者は、共に悪名を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」

朝鮮を「悪友」と表現し、これと縁を切って欧米に近づこうと主張する福沢に対して、韓国では「アジア諸国への嫌悪や軽蔑の持ち主」といった見方があるから、かなりの嫌われ者になっている。

でも、韓国のある保守論客がその常識をブチ破る主張をした。

韓国情報のサイト「wowKorea」(2021/10/08)

<W寄稿>「漢字とハングルの混用」を最初に考案した人=日本人の韓国語に対する貢献 

その論客が言うには、韓国の自慢であるハングルについて多くの韓国人は、日本がその使用を禁止したと考えているが、それは統治時代の数年間だけ(内鮮一体の時期)で、ハングルをはじめて学校教育に導入し体系的に教えるようにしたのは朝鮮総督府だったと指摘。

15世紀に発明されたハングルは「訓民正音」(民を訓(みちび)く正しい音)で、漢字の習得がむずかしい庶民のための文字だったから、支配階級にいた朝鮮の役人らは漢字を使いハングルをバカにしていた。
この文字に注目して、新しい活用方法を考え出したのは福沢諭吉だった記事にある。

朝鮮のハングルを再発見して、既存の日本の「漢字-仮名混用文」に着目して「漢字-ハングル混用文」を考案したのは、日本の先覚者「福沢諭吉」(1835~1901)であった。

 

朝鮮総督府はハングルの教科書を用意し、朝鮮半島に建てた5200か所の小学校でこの文字を子どもたちに教えたという。
だから保守論客さんはこう強調する。

「日本は韓国人から言語を奪ったのではなくて、反対に韓国人が自らの母国語をキチンと読み書き出来るように文字を整備した」

 

ただ漢字とハングルの混用文を考案したのが、福沢諭吉だったかどうかは微妙なところ。
福沢が創設した慶應義塾の留学生をふくむ朝鮮人の開化派と、福沢の弟子である井上角五郎の協力で、朝鮮初の近代新聞『漢城旬報』が1883年に刊行され、それを前身に『漢城周報』が1886年に登場する。
この『漢城周報』ではじめて漢字・ハングルの混合文、ハングルのみの文章が採用されたのだ。

姜韓をはじめとする朝鮮側と福沢諭吉、井上角五郎ら日本側の努力により、ハングル使用の新聞発行が実現できたと評する韓国言論史の崔俊などの見解がある

漢城周報

 

朝鮮人の兪 吉濬(ユ・ギルチュン)は慶應義塾に留学して福沢諭吉から学び、福沢は兪を通じて朝鮮への理解を深めて、朝鮮の近代化と民衆の教化にはハングルの使用がカギになると考えた。
*「諺」は諺文(ハングル)のこと。

福澤は発行する新聞に漢諺混合文の採用を強く推し、自費でハングル活字を鋳造させていた。

 脱亜論・福澤諭吉と朝鮮との関係

 

漢字・ハングルの混用文を考案したのが福沢諭吉かどうかハッキリしないけど、福沢はその必要性を考えて積極的に推進していたのは間違いない。

16世紀に朝鮮政府が公的な文書でのハングル使用を禁止して以来、『漢城周報』ではじめて、政府の関与した文書にハングルが使われた。
その意義はデカい。
こうしてハングルが社会に広がったことが、1894年に公文書に採用されたことにつながった。
ただ福沢や井上らの行動については、日本の“侵略性”を示すモノとする見方が韓国にはある。
この日韓の認識の違いはきっと永遠に埋められない。

でもハングルの日には、朝鮮の近代化と民衆の教化を真剣に考えて、世宗が発明したハングルに注目し、自費でハングル活字を鋳造させた福沢諭吉のこと、時々でいいから、思い出してください。
”アジア嫌悪・蔑視”という単純な人間ではないのだから。

 

 

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  • 実際に見開きで右ページにイラスト、左上半分に日本語(カタカナ)、下半分にハングル表記の教科書が残っているので。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。