“世界一周”のマゼラン:スペイン人の感想・誤解する日本人

 

10月21日というと、1879年に海賊王、じゃなくて発明王のエジソンが日本(京都)の竹を使って白熱電球を完成させたことを記念して、「あかりの日」って日になっている。

【電球の発明】エジソンが日本の竹と出会って世界を変えた

1972年の「全日本プロレス旗揚げの日」(10月21日)と合わせて、日本人なら知っておきたいところデスネ。

で、ヨーロッパに目を向けると、10月21日はここが「発見」された日だ。

 

 

世界一周の航海をしていたフェルディナンド・マゼランが1520年10月21日、南米大陸の先っちょにある「マゼラン海峡」を見つけた。
これ以後、1914年にパナマ運河が開通するまで、マゼラン海峡は太平洋と大西洋を横断するヨーロッパ人の主要な航路となった。(ビーグル水道もね)
ちなみに「マゼラン海峡」は英語の言い方だから、最近の日本では現地の呼び方に沿って「マガリャネス海峡」と表記されることも多くなっているという。

1519年にスペインの都市セビリアから出港し、20年にマゼラン海峡を通って太平洋に出て、餓死寸前になったりグアムでは住民を殺害し家を焼き払ったりし、21年にはフィリピンでマゼランが殺され、1522年に彼の部下がスペインに戻って人類で初めて世界一周を達成した。

人類初!マゼランの世界一周。今ではありえない困難と勇気

 

 

まえにスペイン人と話をしていて、上のマゼラン(1480年 – 1521年)についてどう思うか聞いてみた。

近ごろアメリカなどではコロンブスについて、新大陸に到達してヨーロッパ~アメリカ大陸の航路を発見した偉人というポジティブな評価と、彼は現地住民を殺害し文化を破壊した侵略者というネガティブな評価があって見方が分かれている。
なので、スペインではマゼランをどう見ているのか?に興味があったのだ。

すると彼女は、「彼は探検家で、良い/悪いのイメージはあまりない。中立的な印象ね」と話す。
スペインやヨーロッパに利益をもたらした一方、マゼランのやったことの一つ一つを見ていくと、かなりヒドイこともある。
だから全体的な評価はむずかしいという。

そんな話をしていて、そのスペイン人からこんな質問を受けた。

「ところで、マゼランはどこの国の人間か知ってる?」

え?
と思ったら、マゼランは実はスペイン人じゃなくて、ポルトガル人だったという事実をこのとき初めて知ったでござる。
世界一周を命じたのはスペイン国王でそれに必要な費用もスペインが出して、マゼランはスペインの港から出港した。
それは知っていたから、てっきりスペイン人だと思い込んでいたら、マゼランはスペインに雇われたポルトガルの航海者だった。
当時スペインとライバル関係にあったポルトガルはこの計画に全力で反対し、マゼランに断念するよう説得や脅しをしたり、しまいには暗殺まで考えたという。
だから国でいえば、世界一周をしたのがスペインで、それを妨害したのがポルトガルということになる。

 

知人のスペイン人はまえにも「マゼラン=スペイン人」とカン違いしていた日本人と話をしていて、「なんか違う」とズレを感じたことがあったから、ボクとの話でも「あ、こいつもや」と国籍混同の気配を感じたらしい。
マゼランがどんな人間か知ってるし、彼について話をするのもウェルカムだけど、根本的な前提が違うと話しが合わない。

まーそりゃそうだ。
日本・韓国を「あのへん」とごっちゃにしている外国人から、「世宗=日本人」前提に話をされても困るし、ノーベル賞受賞者の眞鍋 淑郎(まなべ しゅくろう)氏を「韓国人」と思いながら、韓国人と話をするのはもはや挑発行為だ。

でもマゼランについて、国籍を誤解している日本人はほかにもいるだろう。
ウィキペディアには「大航海時代のポルトガル出身のスペインの航海者、探検家。」というファジーな説明があるし。
スペイン人を困らせないためにも、このへんは正しく理解しておこう。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。