紅茶を初めて飲んだ日本人・鹿鳴館から一般家庭までの歴史

 

11月1日の「紅茶の日」に合わせて、きょう5日まで全国の『アフタヌーンティーTearoom』で紅茶が全て111円で飲むことができるらしい。
命短し恋せよ乙女、思い立ったが吉日、紅茶ファンは急いでGO。

さて、なんでこの日が「紅茶の日」という記念日になったのかというと、日本人で初めて紅茶を飲んだのが11月1日だから。

江戸時代の1782年、大黒屋光太夫(だいこくや こうだゆう)を乗せて江戸へ向かっていた船が暴風雨のため漂流し、何だかんだでロシアにたどり着いた。
その後、首都サンクトペテルブルクでロシア皇帝エカチェリーナ2世と会った大黒屋光太夫は、女帝からお茶会の誘いを受け、1791年11月1日に日本人として初めて欧風紅茶(ティー・ウィズ・ミルク)を飲んだといわれる。

『リゼロ』で強欲の魔女エキドナがスバルを茶会に招いて紅茶を出すシーンは、エカチェリーナ2世と大黒屋光太夫を参考にしたという話を知る人はいないだろう。だっていま作ったから。
とにかくそういうことで、日本紅茶協会が11月1日を「紅茶の日」に制定したってワケ。

詳細は日東紅茶HPの「紅茶のマメ知識」で確認。

 

左が大黒屋光太夫

 

大国の中国がイギリスに負けたり、日本に黒船がやって来たりして、「もう鎖国なんてやってる場合じゃねえ!」と開国し、欧米人を迎え入れた明治時代に紅茶が初めて輸入された。
でも値段は高いし、飲み慣れた緑茶があったから庶民にまで伝わることはなく、紅茶は鹿鳴館のようなハイクラスな場所で上級国民が楽しむ高級飲料だった。

1886(明治19)年に、銀座で初めて紅茶が発売され、同じ年には日本橋でコーヒーハウス「洗愁亭」ができてそこで紅茶が提供されるようになる。
といってもお米1升(1.5㎏)が5銭の時代に、ミルクティー1杯2銭、コーヒー1銭5厘という強気の値段設定だったから、紅茶が広まることはなかった。
夏目漱石や宮沢賢治の作品で紅茶が出てくるようになってから、ようやくこれが一般的な飲み物になる。
でもやっぱり緑茶よりは高し。

この過程には江戸時代は幕臣で明治時代には茶の栽培家になった多田 元吉(ただ もときち、1829年 – 1896年)の貢献もある。
彼をリーダーとする使節団が日本人として初めてインドのダージリンやアッサムに入り、伝染病などで苦労しながらも、インド種の紅茶を日本へ持ち帰った。
これが日本紅茶の原点になったという。

 

日本初の国産ブランド紅茶「三井紅茶」(いまの日東紅茶)が1927(昭和2)年に誕生すると、紅茶がリーズナブルな価格となって高嶺の花が国民に近づく。(具体的な値段はしらない)
そして1960年代になって、大量生産で低価格になった紅茶のティーバッグが発売されると、日本中に普及して一般家庭でも飲まれるようになる。
18世紀にエカチェリーナ2世の茶会で大黒屋光太夫が日本人として飲み、明治時代には鹿鳴館で提供されていた上流階級の飲み物だった紅茶も21世紀になると、アニメやマンガで普通に登場するほど日本人にとって身近になった。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。