きょう12月24日はクリスマス・イブ。
そう、日本中の仏教徒や神道の信者がウキウキする日だ。
でもちょうど50年前、1971年(昭和46年)のきょう、新宿クリスマスツリー爆弾事件というマンガのタイトルに出てきそうな事件が起きた。
「黒ヘルグループ」という極左暴力集団が、高さ50cmほどのクリスマスツリーに爆発物をしかけて、警察官がそれを確認したところ爆発。
その警官は左足切断、左手四指切断、右目失明の重傷を負い、通行人6人がケガをした。
こんな卑劣なテロ事件に利用されて、クリスマスツリーも不本意だっただろうけど、日本では昔から冬の風物詩になっていたことがわかる。
東京・銀座の明治屋が日本で初めてこれを飾ったのが1886(明治19)年12月7日だから、それにちなんでこの日は「クリスマスツリーの日」という記念日になっている。
これよりも前に、クリスマス・パーティーでもツリーが使われた記録はある。
でもその後、クリスマス飾りが日本全国へ浸透していったという影響の大きさを考えると、明治屋が日本初と言っていい。
さて、「クリスマスツリーを考案したのは一体どいつだ?」という質問を受けたら、「ドイツ人(ゲルマン民族)だ」と答えておこう。
滋賀大学教授の谷田 博幸氏によると1200年前のドイツで、土着の信仰を持っていた人たちが樫(かし)を神聖な木として崇拝していたのを、後からきたキリスト教が乗っ取ったという。
キリスト教伝道者たちがこの樫の木を樅の木(横から見ると三角形で、正三位一体を想起させる)に代えることによって、この根強い樹木信仰をキリスト教化してゆき、やがてクリスマスに街角や窓辺に樅の木を飾ることが習慣化したのだという。
「ヴィクトリア朝 百貨事典 (河出書房新社) 谷田 博幸」
古代ヨーロッパの北部ではゲルマン民族やヴァイキングが、神オーディンにビールや豚などを捧げるユール(冬至の祭り)を行っていた。
それが後にこの地へキリスト教が伝わると、この新宗教にハイジャックされて現在のクリスマスになったと考えられている。
いまでも北欧ではクリスマスのことをユールと呼ぶらしい。
冬になっても葉が枯れないことから、樫の木は生命の象徴とされてユールで使われていた。
この信仰や儀式をキリスト教徒が奪って、自分たちの伝統行事にしてしまったことは上に書いてあるとおり。
数年前、日本の大学に通っていたドイツ人を神社へ連れて行って感想を聞いたら、「ご神木」がとても印象に残ったと言ってこんな話をする。
キリスト教が浸透する前のドイツでも、樹木を神として崇拝する信仰があった。
けれど、外来宗教であるキリスト教が広まるにつれて、そうした古来の考え方や儀式は失われていく。
ドイツがキリスト教化して1000年以上たっているから、昔の人たちがどんなふうに樹木を崇拝していたのか、いまではサッパリわからない。
カタチは違っていても、日本の神道には木を神とする信仰がいまも残っている。
だからご神木を見て、ひょっとしたら古代のドイツ人も、大きな木にしめ縄のようなひもを巻いて神聖の印として、その木の前で特別な儀式をしていたのかもしれないと思った。
日本では6世紀に仏教が伝わったあとも、神道が排斥され消滅することなく、ずっと共存してきたから、いまでも古代の信仰や儀式を見ることができる。
ゴッドだけしか信じてはいけないキリスト教でそれはムリな話。
いままでタイ人、アメリカ人、インド人、トルコ人などいろんな外国人を神社に連れて行って、感想を聞いたことがあるけど、古代のご先祖がしていた樹木崇拝が思い浮かんだというのはこのドイツ人が初めて。
日本・インド・中国の神々が同じ船に乗って、ニッコニコしている七福神の絵
こういう国では「過去の消滅」は起こらない。
フランスを代表する民族学者で親日家のレヴィ=ストロースは日本という国をこう表現した。
「私が非常に素晴らしいと思うのは、日本が最も近代的な面もおいても、最も遠い過去との絆を持続し続けていることができるということです」
日本人がクリスマスツリーを飾ることには、樹木崇拝という神道の伝統的な考え方が根底にあるかも。
クロード・レヴィ=ストロース
画像:UNESCO/Michel Ravassard
クリスマスの風習(サンタクロース信仰?)の形式も国によって色々あるようです。日本の「赤い服と帽子の恰好で、大きな白い袋にプレゼントを入れて担いでくる(←大黒様の親戚?)」のは主に米国の影響だとか。
ヨーロッパに行くと「緑の服のサンタクロース」「良いサンタと悪いサンタの二人組」「言うことを聞かない悪い子は袋に入れて誘拐してしまうサンタ(←なまはげ以上!)」など、サンタも、とんでもなくバリエーションが多いみたいですよ。