日本人にとってお米は身体にも精神にとっても、ほかの食べ物では替えのきかない特別重要なもの。
中国由来の仏教寺院に入るときに必要なのは拝観料で、日本うまれの神社だと初穂料になる。
御朱印やお守りをもらったり、お祈りをしてもらうときなど神社に渡すお金は初穂料だ。
くわしいことはこの記事を。
正月なんかのめでたいハレの日には、お餅を食べることが古来からのお約束。
古代の日本人が米や餅を特別視・神聖視していたことは、奈良時代に編纂された『豊後国風土記』にある話をみればわかる。
むかしむかし豊後の国(大分)に住んでいたある金持ちが、矢で的を当てる遊びをしようと思い立ち、お米で餅を作ってそれを的にして矢を当てた。
するとその餅は白い鳥になって、空高く飛んでいってしまう。
それ以後、その金持ちの家はおとろえていき、やがて滅亡したという。
白くて丸い餅には縁起の良い白鳥が宿っていて、それを粗末に扱う者から白鳥は離れていく。
白い鳥は神や神霊を象徴するものから、神の恵みを失った人間は没落するしかない。
逆にいえば、稲の神である稲霊(いなだま)の宿る餅や米を大事にする人には、神は豊作や幸せをもたらしてくれる。
こういう日本人の考え方は伝統として受け継がれているから、現代の日本人にも、何の違和感もなく受け入れられるはず。
だから日本人にとって米や餅はただの食べ物ではなくて、神の宿る依り代であり、特別重要なものだったのだ。
長寿や健康など幸せを求める日本人の思いがつまっているのが、正月になると神さまに供える鏡餅だ。
日本では正月に、幸せをもたらす年神さまが各家にやって来てくれるから、その神をお迎えするために玄関には門松を飾り、家の中では鏡餅を供える。
すると鏡餅は依り代となって、年神さまはそこに宿り家族と一緒に新年を過ごすこととなる。
「鏡餅」の名前の由来は、むかしの鏡はこんな丸い形だったことにあるという。
宗教(神道)的にみると、鏡はこの世とあの世の境と考えられて神事などで使われていた。
三種の神器の一つが鏡であることからも、むかしから日本人がこれを神聖視していたことがわかる。
「全国餅工業協同組合」のサイトお餅の歴史によると、鏡餅が二重になっているのは「正月にやってくる年神様に福と徳を重ねがさねよろしくいただくということ」が理由とのこと。
そして1月11日の鏡開きの日、神霊の宿った鏡餅を割り、神に感謝しながら家族みんなでお餅を食べることで「神さまのパワー」を吸収し、これから始まる一年の健康や幸福の縁起担ぎとする。
丸い鏡餅は家族円満を表すというから、これは中国や台湾の月餅と同じ意味だ。
鏡餅は武家の風習で、餅を刃物で切るのは切腹を連想させて縁起が悪いということから、手に力を込めて割ったり木づちでたたき割ったりした。
お餅は神が宿るものだから、感謝や願いを込めて食べる人には幸せを運んでくれるし、米や餅を粗末に扱う人間は神に見捨てられるから落ちぶれる。
日本人はそんなふうに考えて生活してきたし、その伝統はこれからも変わらない。
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