日本人の価値観:「米百俵の精神」が流行語大賞に選ばれたワケ

 

6月15日は新潟県の長岡市が制定した「米百俵デー」だでー。
長岡でこのことばは有名で「米百俵フェス」という音楽イベントや、秋には「米百俵まつり」が行われている。
このことばに込められた物語は長岡を超えて全国の人たちの感動や共感をよび、「米百俵の精神」は2001年の流行語大賞に選ばれた。
たしかに「米百俵」には、教育を何よりも大事にする日本人の価値観がよく表れている。
だから、この話は令和の日本人も知っておくしかない。

 

 

話は幕末の戊辰戦争、長岡藩のあたりで行われた北越戦争にさかのぼる。
1868年に幕府が政権を朝廷に返上した(大政奉還)あとも、長岡藩は徳川家を支持しつづけていた。
だから新政府軍との戦いは必然。

山縣有朋と黒田清隆が率いる新政府軍は「あんな小藩、一飲みにしてくれるわっ」と思ったかもしれないが、相手は「河井継之助 保有国」の長岡藩だ。
アームストロング砲・ガトリング砲・エンフィールド銃など最新の武器を使って迎え撃ったため大激戦となり、新政府軍では1040人、長岡藩では1180人の死者をだす。

この戦いに負けた長岡藩では200年以上かけて築いた城下町は焼け野原となり、多くの犠牲者を出した”報い”として、明治新政府によって石高は7万4千石から2万4千石に減らされた。
つまり超絶貧乏藩になったわけだ。
北越戦争とは別の敵、貧困との戦いがこのときから始まり、藩士にはその日の食事も満足にとれないような日々がつづく。
その窮状を知った支藩の三根山藩から、長岡藩に百俵の米がおくられた。

「これで助かった!」とよろこぶ大勢の藩士に、長岡藩の大参事だった小林虎三はこれを売って学校をつくると告げやがる。
*大参事(だいさんじ):地方ではナンバーツーの官職で現在の副知事にあたる。

「おいおいふざけんな!」と驚き怒る藩士に小林はこう言う。

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」

藩士に不満は当然あっただろうけど、結局小林はこの意見を押し通し、百俵の米は売却されて学校の建設費用となった。
とはいえ、長岡の子どものため、未来のためを思って小林の案に同意し、もう少し貧困と戦うことを選んだ藩士も多かったと思う。
そのお金でできた学校「国漢学校」は1870(明治3)年6月15日に開校した。
だからこの日は「米百俵デー」。

2001年に当時の小泉純一郎首相が国会での演説で、「米百俵の精神」ということばでこの話に触れ、それが国民の琴線に触れてその年の流行語大賞に選ばれた。

 

 

国漢学校と小林虎三

 

 

さて、ブラジル社会で日系人はぶっちゃけた話、医師や弁護士など社会的に尊敬されるような職業に就いていること多い。
そして「日本人は勤勉で信用できる」というポジティブなイメージもある。
実際、「Japones Garantido」(日本人は確実に信頼できる)と、日本人や日系人が相手ならブラジル人は小切手の受け取りを拒否しなかったという。

知人の日系ブラジル人にその高い評価のわけをたずねると、日本人の移民は教育をとても大事にしたからだと指摘しこう言う。

「ヨーロッパ人はブラジルにやって来るとまず教会を建てた。でも日本人は学校をつくった」

これは「米百俵の精神」にも通じる日本人の価値観であり精神だ。
この考え方が実を結んでブラジル社会での日系人の高い評価や、世界での日本人への信頼につながっている。

ブラジルの話についてくわしいことはこの記事をどうぞ。

浜松の日系人に聞く、ブラジルで日本人が信頼される理由

 

南米への移住を呼びかけるポスター

 

 

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1 個のコメント

  • 当時の「米百俵」って、現在の価値ではどの程度だったのですかね?
    その情報がないと、イマイチこの話の「すごさ」が分かりづらい。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。