いま世界中でイスラム教徒は16~17億人いて、人類のおよそ四分の一を占めている。
ムスリム(イスラム教徒)の数は増加傾向にあり、2050年には27億6千万人(29.7%)となって人類史上初めてキリスト教徒(29億2千万人、31.4%)と並び、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になるという予測もあり。
コロナ前までは日本に来るムスリムの数もうなぎ登りだったから、これをビジネスチャンスと捉える人は多く、政府もその動きを後押ししている。
首相官邸HPにある「訪日ムスリム旅行者対応のためのアクション・プランの概要」をみると、食事や礼拝スペースの確保で課題があるようだ。
こうした物質的なことではなくて、日本人がイスラム教徒と接していると、価値観で大きなズレを感じることがある。
いまの日本でムスリムはまったくめずらしい存在じゃないから、ある日突然、バイトや職場、学校で出会って彼らと付き合うようになるかもしれない。
なので今回はその予備知識として、イスラム教の大事な考え方を知っていこう。
イエメンのムスリム女性
むかしエジプトを旅行中、ある日本人旅行者からこんな耳より情報をゲットだぜ。
「スキューバダイビングには世界三大聖地といわれるところがあります。グレートバリアリーフとモルディブと、それとエジプトにある紅海です。時間があるなら、絶対に行くべきですよ!」
ならば後悔しないようにと、シナイ半島のダイビングスポットへ行くことにする。
そこでは、エジプト人男性と結婚した日本人女性がインストラクターをしてくれた。
エジプトに住んで感じた違いや苦労について聞いたら、「簡単に話しても3日はかかる」ということだったので、現地で感じた一番大きな違いをチョイスしてもらう。
老若男女いろんなエジプト人と付き合ううちに、彼女がすぐに覚えたアラビア語は「インシャ・アッラー( إِنْ شَاءَ ٱللَّٰهُ,)」。
これは「神(アッラー)が望めば」、「神の思し召しがあれば」という意味で、エジプト人やほかのアラブ人が日常生活でよくこの表現を使う。
そしてこの表現に非ムスリムの日本人とは、銀河系レベルで違うイスラム教徒の価値観や考え方がつまっている。
たとえばその日本人女性が仕事で付き合いある店に、「このダイビング機材がほしいから届けてほしい。」と依頼すると、相手のエジプト人は「わかった。あさって持って行く」と言ったあとに「インシャアッラー」のひと言を付け加える。
だからもし、自分があさって機材を持って行かなかったとしても、それは「神が望めなかった」ということになる。
つまり、「もしそうなってもオレの責任じゃないから、おまえは文句を言うことはできない」という約束を守らなかったときの“保険”として、「インシャアッラー」を使うことがある。
実際、エジプト人の言ったことをそのまま信じて準備をすると、あとでバカをみることが多々あった。
イスラム教徒の言う「インシャアッラー」は日本人にとっては不幸フラグだ。
上の場合、ダイビングの機材があさって届くという前提で、その次の日に客の予約を受け付けると、当日ジャンピング土下座をしないといけない可能性が高い。
口約束だけだと信頼できないから、物品が手元にきてからでないと物事を進めることができない。
だから仕事は遅くなるし、時間のムダも多くてイライラするけど、夫のエジプト人は「それもインシャアッラーだよ。怒っても仕方ない」と言って遊びに出かけやがる。
異国に住む人間に「郷に入っては郷に従え」はゴールデンルール。
エジプトにいるのなら、イスラム教徒の価値観やペースに自分を合わせないといけない。
それは分かっていても、アラブ人の言う「インシャアッラー」は日本人の自分には「仕方ない」ではなくて、「無責任の言い訳」に聞こえてしまう。
エジプトにはもう何年も住んでいるけれど、いまだに考え方に慣れることができないでいる。
心の中でストレスがたまり積もってしまい、気づけば憤怒という名のピラミッドができてしまった。
ということで、約束を守らなかったり時間に遅れたりしても、そのイスラム教徒に悪気は一切なく、それは「失礼」とも違って、自分とは別の価値観や行動基準があるのかもしれない。
その背後を知ることが異文化理解につながって、自分の世界も広がる。
「国際交流」と書いて「にんたい」と読むことはけっこうあるのだ。
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