なるほど。
それは確かに韓国人にとっては、特に記者には「生きるべきか、死ぬべきか」レベルの一大事だ。
朝鮮日報のコラム(2016/07/25)
天皇と書くべきか、日王と書くべきか
上皇さまが退位を発表されたとき、それを伝える記事を書いたこの韓国人記者は「天皇と書くべきだろうか、それとも日王と書くべきだろうか」で悩んだ挙句、結局は「日王」と書いた。
皇帝や天皇の「皇」とは王よりも格上、最も尊い存在だから、韓国人としてはできるだけその言葉を使いたくない。
それはこんな理由から。
日本人が「天皇」と呼ぶからと言って、韓国人がその通りにする必要はない。日本の帝国主義により支配された35年間は韓国人にとって地獄だった。被害国が満足できるだけの反省もしていないのに、皇帝だなんて我々が思い及ぶはずもない。
こんな文章を読むとまるで前年の2015年に、日韓合意で日本の「心からのおわび」を受け入れて、韓国が「慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と約束したことがまるでフィクションのように見えてしまう。
でも、記者の心情は韓国では一般的なものだ。
まあそれはいいとして、韓国人としては感情的に天皇という最上級の表現ではなくて、「日王」を使いたいことは分かった。
ただ記者の立場だと、それだと困ることもある。
「皇居」は「王居」と書くべきか?
「皇室典範」はどう表記すればいいのか?
そんなことに悩んで記事を書きにくいらしい。
自業自得とははいわんが、自縄自縛ではある。
それで記者は、「日本による植民地時代を身をもって経験した先輩方が何という言葉を使っていたのか」が気になって調べてみた。
すると日本統治を経験している世代(1945年-48年)の記者たちは「天皇」と書いていて、1950年、60年、70年代の記者も同じ。
結局、1989年までに「日王」と書いた朝鮮日報の記事は4件だけで、あとの全ての記事では「天皇」と表記していた。東亜日報も京郷新聞も日王ではなく天皇を使っていた。
韓国メディアが「日王表記」に変わったのは1988-89年のころからだという。
韓国政府は98年に「相手国の呼称をそのまま使うのが外交慣例だ。政府は天皇と呼ぶ」と発表し、金大中・盧武鉉両大統領が天皇に会ったときは「天皇陛下」と呼んだ。
同じ韓国人でも、時代や立場によって天皇と言ったり日王と言ったりしてるから、記者も混乱して、結局よくワカラン結論を書いてコラムを終える。
日王を日王と呼んだからと言って、韓国人が強くなるわけではない。日王を天皇と呼んだからと言って、韓国人が低くなるわけではないのと同じだ。
つまり韓国人が「天皇」を使ってもかまわない、ということなのかと思ったけど、この記者は悩んだ末に「日王」と書いている。
外交慣例や国際的な儀礼にしたがって、本来なら「天皇」と言うべき。でも、「35年間は地獄だった」という韓国人の国民感情としては抵抗がある。国内感覚と国際常識の板ばさみにあって、韓国人記者としては苦心しているらしい。
中国では「天皇」、英語なら「エンペラー」で迷いはない。
「皇」や「王」の一文字をめぐって、自分を苦しめるほどこだわるのは世界で韓国人だけだ。
時代や事情はまったく違うけど、日本でもこの人は周囲をウンザリさせるほど文字表記にこだわった。こだわり抜いた。
新井白石(1657年 – 1725年)
江戸時代に新しい将軍が誕生すると、朝鮮国王の代理でお祝いのメッセージを届けるため、朝鮮政府から使節団が日本へ派遣された。
いわゆる朝鮮使節団ってやつだ。
6代将軍・徳川家宣(いえのぶ)のとき、それまで朝鮮に対して将軍を「大君」と称していたのを、新井白石が「日本国王」とすべきと進言して、それが認められた。
「大君」とは中国の書に「大君命あり、国を開き家を承く」、「武人大君と為る」、「知ありて臨む、大君の宜なり」と書いてあることに由来する呼称で「天子」の意味を表す。
天皇も天子だから、「大君」だと格下の将軍が天皇と”同格”のようになってしまうから、「皇」のワンランク下の「王」なら将軍の格にふさわしいと新井白石は考えた。
ほかにこんな理由もある。
殊号事件
国際的観点から、日本天皇の下の徳川将軍と中国清(しん)朝の天子の下の朝鮮国王とは、対等となってつり合うとの認識を白石はもっていた。
日本大百科全書(ニッポニカ)
天皇・将軍・朝鮮国王のそれぞれの格やランクを厳格に考慮すると、将軍は対外的には「日本国王」がいいと新井白石が言うと、家宣も「だね」と同意して、朝鮮に対しては将軍を大君ではなく日本国王とした。
でもこのときすでに多くの反対があったし、8代吉宗のときにまた元の「大君」に戻しているから、新井白石の案は当時の日本人の共感を得られなかったことになる。
「そこまで細かく考えるなよ…」と冷ややかに見られていたのでは。
新井白石は儒教に精通した人だったから、相手と自分の立場を示す文字にこだわり抜いたのだろう。
現代の韓国人が「天皇と書くべきだろうか、それとも日王と書くべきだろうか」で悩むのも、相手と自分の上下関係をすごく気にする儒教の考え方に由来するものだろう。
自分と相手の呼称は、立場の違いを明確にする最も有効なツール。
「上下関係」を重要視する韓国社会の考え方についてはここを読んでほしい。
現代朝鮮では、李朝時代に固まった朝鮮儒教により目上の者には絶対服従であり、たとえ間違っていたとしても、それを指摘して恥をかかせるような事は出来ない。
「目上の者には絶対服従」の事例として、大韓航空副社長が起こした「ナッツリターン事件」がある。
「天皇」だと朝鮮国王より格上の存在になることも、現代の韓国人にネガティブな印象を与えているかも。
でもなんだかで、新井白石の「日本国王」が「大君」になったように、韓国メディアも日本統治を経験した先人と同じくまた「天皇」表記に戻る気がする。
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何期待してんだか…
天皇を日王と呼ぶことは儒教的思考に起因したに違いないです。
それは非常に間違っています。例えば、日本で韓国の大統領を「小統領」と呼んだり、世宗大王を”世宗君”と呼ぶなら、韓国人は日本との外交を断絶しろと叫ぶでしょう。しかし、韓国では古代中国の皇帝を皇帝と呼ぶことは何の反感もなく呼んでいますが、日本の天皇を天皇と新聞に書いたら大変な非難を浴びることになるでしょう。表向きの理由は日本が過去のことに対して心からの謝罪をしないということですが、日本を無視して下待ちする姿勢のためです。反日教育の副作用が韓国を国際社会から孤立させています。
むかしの韓国人記者は「天皇」と呼んでいたのに、途中から変わったというのはやっぱり教育の影響でしょうね。
> 日本を無視して下待ちする姿勢のためです。
「下待ちする」って何ですかね?
それと、韓国人が日本の天皇のことを侮蔑の意味を込めて「日王」などと呼ぶことを、私は許せません。
侮蔑の意図がもしもない単なる慣習であれば、即刻その場で「天皇もしくはエンペラーと呼べ、それが国際社会の常識であり韓国政府の正式見解だからだ。一般韓国人もそれに従え」と要求します。