まわりは見渡す限り海と空、聞こえてくるのは生き物の声と波の音ばかり…。
そんな無人島に取り残されて、何とか生き抜くサバイバル物語は世界中にあるのだろうけど、これで主人公が女子高生だと日本のアニメ「ソウナンですか?」になる。
修学旅行中に飛行機事故が起きて、無人島に漂着した4人の女子高生が住むところをつくり、食べ物見つけてなんとか生きていく。
このアニメの「なんにもない、なんでも作る!なんでも食べる! 知恵と勇気の無人島バトル!」というキャッチコピーに一番近い話で、世界で最も有名なものといえば19世紀のイギリスの小説家ダニエル・デフォーが書いた小説『ロビンソン・クルーソー』しか考えられん。
初版の正式タイトルは、
「自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述」
という小説の題名とは思えないもので、世界一長いタイトルの本ともいわれる。この19世紀のイギリス人の表現を、現代の日本風にいうと「知恵と勇気の無人島バトル!」になる。
この小説は欧米世界では爆発的に読まれて、カール・マルクスが『資本論』で、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中でロビンソン・クルーソーを取り上げている。
スウィフトの『ガリヴァー旅行記』にも大きな影響を与えたという。
奴隷を求めてアフリカへ向かっている途中で船が難破して、無人島にロビンソン・クルーソーだけが漂着する。
住みかをつくったり穀物を栽培したり、聖書を読んで心をなぐさめたり、ときには食人の儀式を目撃したり仲間をつくったりと、ワンピース的な要素を交えながら、何とか生き抜いて28年後にイギリスへ戻る。
もちろんこれはフィクションで、ロビンソン・クルーソーは架空の人物だ。
でも、この元ネタとなったとされる人物なら実在する。
それが遭難者として無人島で4年間を過ごした、イギリス(スコットランド)人の船員「アレキサンダー・セルカーク」だ。
1704年に彼を乗せた船が食料と水を補給するため、南米チリの海岸から670㎞離れた太平洋上にある無人島、ファン・フェルナンデス諸島に上陸した。
この先も航海を続けるには船の耐久性に問題があると考えたセルカークは、ここに残って、別の船が来たらそれに乗せてもらうことを提案。
「そうか、それはいいアイデアだ」と言う人は皆無で、船長や他の船員は彼一人をおいて出航してしまう。(鬼畜ですか?)
セルカークはマスケット銃、火薬、大工道具、ナイフ、聖書、衣服だけを頼りに、ひとり無人島で生きるしかなくなった。
セルカークは始め、野獣への恐れと彼自身の偏執から、海岸で暮らした。内陸方向から聞こえる奇妙な音におびえた。彼はこれを危険な獣の声だと考えた。
洞窟に住んで貝を食べながら、救助の船が来ないか、毎日海を眺める退屈で絶望的な日々を過ごすセルカーク 。
やがて彼はこんな2つの小屋をつくって、自分の精神状態を良好な状態に保ち、英語を忘れないよう聖書を読んだ。
そしてついに船が来た!
と思ったら、それは敵対していたスペインの船。
スペイン人に捕まったら奴隷にされるか、処刑されるか分かったものじゃないから、これは隠れてやり過ごす。
次に来た船もスペイン船で、希望拷問を経験するセルカーク。
でも一度、見つかったことがある。
スペインの船員は彼を追いかるも見失い、小便をしたあとあきらめて島から出て行った。
彼らが小便をした木の上に、セルカークが隠れていたことには気づかずに。
Once, he was spotted and chased by a group of Spanish sailors from one of the ships. His pursuers urinated beneath the tree in which he was hiding but failed to notice him. The would-be captors then gave up and sailed away.
置き去りにされたから4年と4ヶ月後、ついにそのトキがきた。
1709年2月2日(つまり今日)、デューク号のイギリス人船長ウッズ・ロジャーズによって救助されて(上の絵)、1711年に彼はイギリスへ帰国することができた。
その後のアレキサンダー・セルカークの生活を知りたかったら、リンクをクリックしてくれ。
彼のサバイバルは『ロビンソン・クルーソー』に直結したし、回り回って「知恵と勇気の無人島バトル!」のアニメにもつながっていると思うのですよ。
そういや、「誰も触われない 二人だけの国」というスピッツの「ロビンソン」にも関係してるかも。
> この先も航海を続けるには船の耐久性に問題があると考えたセルカークは、ここに残って、別の船が来たらそれに乗せてもらうことを提案。<改行>「そうか、それはいいアイデアだ」と言う人は誰も皆無で、船長や他の船員は彼一人を置いて出航してしまう。(鬼畜ですか?)
> セルカークはマスケット銃、火薬、大工道具、ナイフ、聖書、衣服だけを頼りに、ひとり無人島で生きるしかなくなった。
???
それって、ただ単に船の耐久性に関する意見が割れて、セルカーク以外の多数派は航海を続けることを選択したってことでしょ? 一人になっても自分が島に残りたいと言うのであれば、残すしかないんじゃないですか。
銃、火薬、大工道具、他もろもろの資材を(限られた手持ちの中から)置いていってくれたのだから、船長はじめ他の船員たちには、自分の選択を尊重してくれたことに対し、セルカークは感謝すべきでしょう。相手がセルカーク一人であれば、船長権限で、「(セルカークの身の安全を確保するため)島に残ることは許さない」という決定を下すこともできたはず。セルカークが抜けることによって、彼に残す資材の分と、この先の船を運行するためのマンパワーはその分低下するのですから。
その船長の決定は、セルカーク個人の自由(もしかするとワガママ?)をも尊重した、十分に人権的配慮がなされていたと思いますよ。
航海を続けた船長・船員たちがその後どうなったのか、その結果も知りたいところですね。
19世紀の小説であるロビンソン・クルーソーも知っていますが、私にとっては、70年代(だったか?)の白黒TVドラマ「宇宙家族ロビンソン」の方が親しみがあります。宇宙で遭難した割には、どの惑星でも結構豊かな生活を送っていて、「こいつらの生活ウチより豊かじゃん!」って内心思いました。家事も育児も教育も、忠実なロボットのフライデーがみんなやってくれるし。天候が悪化しそうになると、蛇腹の腕を上下に振って「警告!警告!巨大嵐が接近中!今すぐ避難して下さい!」って、最近の津波警報みたいに活躍してました。
あの狡賢いのだけど憎みきれない爺様、ドクター・スミスがよかったなぁ。印象が強すぎて、スミスという名の外国人は皆あんな感じなのかと、子供の頃は思い込んでました。
リンク先にかいてありますよ。