日本(熊本)にある韓国の影響:山城、セロリ、武者返し、蔚山町

 

文禄と慶長の2つの時代に朝鮮半島へ攻め入った戦いを、それぞれ文禄の役(1592年~93年)と慶長の役(1597~98年)といい、合わせて「朝鮮出兵」という。
この結果は、総大将の豊臣秀吉が死んだことで日本軍が撤退で終わり。
日本と朝鮮が戦ったのは、朝鮮が対馬を侵攻(侵略)した15世紀の「応永の外寇」以来のこと。

日本と韓国(朝鮮)は気の遠くなるような昔から隣国同士だから、生活を豊かにする文化交流もあれば、武装した者がにらみ合うこともあった。
そんな朝鮮半島から日本へ伝わった文化的影響というと、とても多いけど実は意外と少ない。
仏教、漢字、論語などは朝鮮半島からきたとしても、それは中国文化で朝鮮人の固有の文化ではない。
でも、ないこともない。

百済を助けるために、日本が新羅・唐の連合軍と戦って負けた663年の「白村江の戦い」の後、朝鮮半島からの襲来をおそれた日本は、亡命百済人の協力を得て朝鮮式の山城を西日本(北九州~瀬戸内海沿岸)に築いた。
山の斜面に石塁や土塁をめぐらす山城は朝鮮の三国時代に発達する。
およそ4世紀~7世紀のあいだ、朝鮮半島は高句麗、新羅、百済の三国に分かれて争っていたから、山の地形を利用して城を築く技術は、わりと平和だった日本よりも発展していたのだろう。
この朝鮮式山城は日本にいまに残る韓国(朝鮮)の文化だ。

 

朝鮮出兵という不幸な接点を持ったときも、それがきっかけになって日本へ伝わったモノもある。
1598年のきょう2月9日(西暦)、慶長の役において「蔚山(うるさん)城の戦い」が行われた。
蔚山城は当時の日本人が、いまの韓国・蔚山広域市に築いた日本式の山城で朝鮮式のものではない。

このときの「蔚山城の戦い」では初めは苦戦するも、結局は日本兵の「狩場」となった。

蔚山城の日本兵は山を駆け下り、一気に敵兵を討ち殺した。明軍で歩兵の生還者は多くなく、騎兵の戦死者もまた幾ばくか知れず、甲冑を投棄し身一つで逃走した。また朝鮮軍からも多くの死傷者が出た。

蔚山城の戦い

 

日本兵は敗走する明・朝鮮連合軍を追撃し、多くの敵兵を討ち取り、中国側の史料(明史)には明軍が2万人の死者を出したとある。

 

蔚山城
うん、石垣がなんか日本

 

加藤清正

 

蔚山城の戦いで大勝利をおさめた後、帰国した加藤清正が朝鮮からセロリを日本にもたらしたという話がある。これが「清正にんじん」と呼ばれたのは、現地の人の「これは人参だ」という言葉を清正が信じたからだとか。
さらに清正によって名城の熊本城がつくられた。
ここの石垣は変わっていて、下の方は勾配(斜面)がゆるやかで登りやすいんだが、上にいくと勾配が急になり、しまいにはほぼ垂直になっているから、有能な忍者でも侵入できない仕組みになっている。
この「武者返し」と呼ばれる石垣の作りは蔚山城をモデルにしたもので、日本ではマレということだから、これは朝鮮の影響だと思われ。

日本帰国後の清正

 

熊本市にはむかし、「蔚山町(うるさんまち)」という町があった。(現在の新町一丁目)
この由来は、加藤清正が韓国の蔚山で戦ったからとか、蔚山から連れてきた人をここに住まわせたから、といった説がある。
いまでも熊本市電の駅(電停)の「蔚山町停留場」にその名が残っている。
この駅の韓国語表記は変わっていて、日本語をハングルで表した「우루산마치(Urusanmachi)」ではなくて、「蔚山」を朝鮮漢字音で読んだ「울산마치(Ulsanmachi)」が使われているのだ。

ということで、セロリは原産地がヨーロッパのあたりだから外すとして、西日本にある朝鮮式山城や、熊本の武者返しや蔚山町は韓国(朝鮮)の影響と言えそうだ。

 

蔚山城の戦いでは、加藤清正は朝鮮軍に大きな被害を与えちゃったワケなんだが、でもこれがきっかけになって、いまでは熊本市と韓国の蔚山広域市が友好協力都市を結んでいる。
朝鮮出兵は韓国では「朝鮮侵略」と言われていて、総大将だった豊臣秀吉はそのために、いまの韓国人から激しく嫌われている。
加藤清正にも良いイメージはないはずだ。
だから朝鮮出兵がご縁になって、友好関係を結んでいるというのは日韓でここぐらいでは?

 

 

 

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2 件のコメント

  • 知らなかった、でも面白い文章をよく読みました。
    日本に韓国の地名を持つ地下鉄の駅があるということも面白いです。
    韓国人の反日意識が強い根本的な理由の一つは、本文で言及した壬辰倭乱(文禄の役)、丁酉再乱(慶長の役)です。
    韓民族の歴史上、他国を侵略した戦争は高句麗広開土大王時代の中原征伐が事実上唯一のもので、対馬征伐のような攻撃はありましたが、全面戦争の規模ではなく局地的な戦闘でした。だから韓国人は自らを「平和を愛する民族」だと自負しています。豊臣秀吉から侵略された時も、朝鮮は約200年間、戦争なく暮らしていた時代でした。そのため、韓国人は日本人が残酷な侵略戦争の因子を保有した民族として見なしています。近代以前の王朝(封建)時代にあった戦争に対して未だに反感を持っており、それに基づいて反日意識を捨てることができないのは非常に残念なことです。韓国人は過度に過去に縛られているのが問題だし、現代の観点で過去の問題を判断するのも直さなければならない考えです。

  • 「地下鉄の駅」ではなくて市電です。
    乗物には違いないですけどね。韓国に日本の地名の駅があったら驚きますよ。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。