このまえ愛知県で「ソックディア」というバクチの借金をめぐって、ベトナム人同士によるトラブルが起きて3人が逮捕された。
朝日新聞(2022年2月10日)
賭博「ソックディア」の借金トラブルか 強盗致傷容疑で男3人逮捕
事件の内容はどーでもよくて、捕まった容疑者3人のうち2人の名字が「グエン」だったことで、日本のネットでは「グエン祭り」が始まった。
・どうかグエンがありますように。
・グエ~ン グエ~ン
走って~ ゆく~
グエ~ン グエ~ン
どこま~ でも
・グエンが上手にグエンにグエンの絵を描いた
・どっちを向いてもグエンばかり
・グエンなさい
ベトナム人には「グエン」さんが本当にすさまじく多い。
だから日本で起きた事件で、加害者と被害者がグエンだったこともあるし、今回の事件もひょっとしたらそうかも。
去年11月に行われたサッカー日本 vs ベトナム戦ではスターティングメンバー11人のうち、6人がグエンだったから、「グエンさえおさえれば勝つる!」と早速ネットでネタにされてた。
試合ではグエン・コン・フォン選手から、グエン・バン・トアン選手に交代する場面もあって、実況した日本人アナウンサーはかなり苦労したらしい。
個人的にはこういうベトナムのグエン事情は10年ほど前に知った。
ベトナム旅行をしてたとき、ホテルのスタッフや日本語ガイドなんかで「またグエン登場!」と何度か思ったら、ベトナムでのグエン遭遇率は控えめに言って異常というのは知ってた。
ベトナム人の姓の中ではグエンさんが一番多くて人口の約4割を占めるから、こういうグエン渋滞が発生するのだ。
日本で最も有名なグエンさんは、高校世界史でならうベトナム建国の父・ホーチミンが使っていた「グエン・アイ・クォック(阮愛国)」だろう。
*ホーチミンの本名はグエン・シン・クン。
日本で2021年に最も多かった姓は「佐藤」。
その数は約186万人で割合では約1.5%しかないから、2位の「鈴木」と3位の「高橋」の3人でジェットストリームアタックをしかけてもグエンにはとても勝てない。
では、なんでベトナム人にはこんなにグエンが多いのか?
知人のベトナム人に聞いたら、これは「日本人あるある」の質問のようで、それまでにも何度か聞かれたという。
本人はそれまでベトナムにはグエンが多いことは知ってたけど、常識に疑問を持つことはないからその理由を考えたことはない。
日本人に聞かれたことがきっかけで、「そういや」と調べて初めてそのワケを知った。
まずグエンという姓は、グエン・フク・アイン(阮福暎)が1802年に開いたベトナム最後の王朝「グエン朝(阮朝)」に由来するという。
ベトナムの歴史では新しい統治者が誕生すると、他人に自分と同じ姓へ強制的に変えさせることがあったし、自分から姓を王朝(皇帝)と同じものにしたこともあった。
その理由としてはこんなことがある。
・王朝が交替すると前王朝につながる人たちが殺されることがあったから、それを恐れた人たちが自分の姓を変えた。
・グエン王朝時代、グエンさんは社会的に優遇されていて、多くのメリットがあったから自分の姓をグエンにした。
(知人のベトナム人が言うにはグエン姓というだけで、より高い地位と給料の仕事を与えられることもあった。)
中国や韓国など東アジアで起きた革命は西洋のレボリューションではなくて、「天命が革(あらた)まって、別の姓の者が皇帝(天子)となる」という易姓革命(王朝交代)だった。
だから革命とは、皇帝の姓が変わることをいう。
韓国の歴史では、国王が「王」の姓を持っていた高麗が滅んだとき、生き残った者は殺害されることを恐れて、自分の姓を玉、全、田などに変えたという話がある。
*玉、全、田の中に「王」の字が入っている。
グエン朝(阮朝)が成立する前、ほんの短期間だけど西山朝という王朝があった。
西山朝は阮一族を殺しに殺したが、阮福暎はとり逃してしまう。
その阮福暎が後に西山朝の人間を皆殺しにしてグエン朝(阮朝)を開く。
ベトナム史でグエンは最後の王朝だったから、国内のグエンさんが自分の姓を変える必要もなく、そのまま子孫を増やしていったことで、気づけば全国の約半数の人が「グエンさん」になった。
そんなことで21世紀になると、犯罪の加害者も被害者もグエンだったとか、サッカーの試合をすると「選手交代! グエン OUT グエン IN」という状態が発生するようになる。
ベトナムの歴史と違って、日本では国民の姓がコロコロ変わることはない。
そもそも天皇に姓はないし、日本の歴史で易姓革命(王朝交代)は一度も起こらなかったから、「前王朝につながる人間は皆殺しにされる」というダークなこともない。
13世紀の承久の乱で勝利した鎌倉幕府は、後鳥羽上皇らを島流しにしただけで処刑することはなかった。
これが中国・韓国・ベトナムのような易姓革命だったら、天皇家の人間にはとても残酷な未来が待っていたはず。
とり逃がした阮福暎によって西山朝が滅亡したことからも分かるように、易姓革命に「一族ミナゴロシ」は付きものだ。
江戸から明治時代になったとき、西郷隆盛はケジメをつけるため、最後の将軍・徳川慶喜には必ず死んでもらおうと考えていたけど、結局それもなかった。
明治時代の慶喜は銀座にショッピングに出かけたり、趣味の写真撮影を楽しんでいたぐらいから、全国の「徳川」さんも自分の姓を変える必要はまったくなかったのだ。
日本はベトナムとはまったく違う歴史や文化を持っているから、「またグエンか!」と驚くことになる。
コメントを残す