日本の武士、僧侶、歌人、そしてネクロマンサーの西行法師

 

2月14日はキリスト教の聖人・バレンタイン司祭の命日。
バレンタインデーを知らない日本人はいないとしても、翌15日は、お釈迦さまが亡くなった(入滅した)日ということを知ってる一般の日本人はきっとレアキャラだ。
この日、仏教では涅槃会(ねんはんえ)というシャカのための法要が行われる。

15日は平安後期に活躍した武士、僧侶、歌人の西行(さいぎょう:1118年~1190年)」の忌日(命日)でもある。
この3つの要素の中で「武人」としての西行はイマイチ知られていない。
11世紀に白河法皇が自身を守らせるため、住居である院御所の北側に武士を配備した。
これを北面武士(ほくめんのぶし)という。
西行は鳥羽院に奉仕していた北面武士だったから、かなり高い戦闘力があったということだろう。同じ時期の北面武士には平清盛がいる。

*仙洞御所(院御所)の「仙洞」とは仙人住んでいた場所のことで、そこから上皇や法皇の住みかを指すようになる。上皇や法皇を「院御所」ということもあった。

武士として多くの人の命を奪ってしまったせいか、西行はこの世を捨てて出家し、お坊さんとなって歌を詠みながら全国をした。
その間に彼はヘンなことをする。
夜の高野山で死体を掘り返してならべ、「反魂の術」を使って人造人間を作ったものの、血相は悪いし声も細かったから、「思ってたのと違う」と高野山の奥へ捨ててしまった。
西行法師はそんな不気味なこともする人。

日本で初めて「人造人間」を作ったという仏教僧・西行

 

西行法師

 

日本の武士、僧侶、歌人、そして死体をあやつる術者ネクロマンサーでもあった西行は2月16日にこの世を去る。
そう。
西行の本当の忌日は15日じゃない。
でも、シャカが入滅(涅槃)した日に亡くなることは仏教者にとっては理想だったし、西行は、

「願はくは 花の下にて 春死なん そのきさらぎの 望月のころ」

と、「できたら如月(2月)の満月、涅槃のころに死にたいなあ」なんて句を残したこともあって、2月15日が西行の忌日になっている。

バレンタインデーにかける時間と手間と関心のうち、義理チョコていどでもいいから、シャカと西行、2月15日にいなくなってしまった人たちのこと、時々でいいから…… 思い出してください。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。