「ライオンの都市」って意味のシンガポールとはこんな国だ。
面積:約720平方キロメートル
人口:約569万人
民族:中華系76%、マレー系15%、インド系7.5%
言語:国語はマレー語。公用語として英語、中国語、マレー語、タミール語。
宗教:仏教、イスラム教、キリスト教、道教、ヒンズー教
以上のデータは外務省ホームページ「シンガポール共和国(Republic of Singapore)基礎データ」から。
東京23区とだいたい同じ面積の中に、いろいろな民族・言語・宗教が混在しているシンガポールは、小国でも多様性にあふれている。
その歴史をさかのぼって太平洋戦争が始まったころの1942年に注目すると、2月のちょうどいまごろ、日本軍がイギリス軍を降伏させてシンガポールを占領した。
そしてきょう2月19日、
「シンガポール在住の18-50歳の華僑は21日正午までに所定の場所に集合せよ」
という命令が出されて、そのあと多くの中国系住民が殺害された。
このときの犠牲者の数には、数千人や数万人という説があって正確な数字は誰にも分からない。
これは無差別殺人ではなく、マレー系・インド系はスルーで、中華系住民だけがターゲットとなった。
それにはワケがある。
このときは日中戦争も行われていて、マレー半島にいた中国系住民が抗日ゲリラ活動を行うと同時にアヘンを売ってもうけていた。
そこへやって来た日本軍がアヘン麻薬貿易を禁止すると、彼らは激怒し抗日運動が一層活発になる。
特にシンガポールにいた中国系住民がその中心的な役割を果たしていた。
マレー・インド系の住民が日本軍に敵視されたなかったのは、抗日運動とは無関係だったからで、特にマレー人はイギリス植民地時代、白人と中華系による二重支配に苦しんでいた。
海峡植民地の華僑は、常に植民統治者の側にあり、その番頭、仲介人となり、政治を白人が司るなら、経済は華僑が牛耳り、マレー人に対して白人以上に搾取者・収奪者となった。
海峡植民地(現在のマレーシア)は東南アジアの中でも、最も華僑に支配されていた地域だったことがこの事件の背景にある。
「21日正午までに所定の場所に集合せよ」という布告で集まった華僑に尋問を行い、「アヘン麻薬貿易組織」や「抗日分子」と判断された者が殺害対象となったが、無関係の華僑も憲兵隊に殺されたという。
戦争が終わるとこのときの責任者は裁判にかけられて、2人に絞首刑、5人に終身刑が言い渡された。
この事件の犠牲者を慰霊する塔があったから、シンガポールを旅行中にそこへ行ってみた。
ちょっと緊張しながら上の写真を撮ってると、「こんにちは。君は日本人ですか?」とシンガポール人に声をかけられてビビった。
こんなところで写真撮影をしていて、服装から日本人だと思ったというあなたはちょっとしたコナン君ですね。
彼らは一目で中華系シンガポール人とわかる青年2人で、フレンドリーそうだったから、思い切っていまこの事件をどう思っているか聞いてみた。
「これはシンガポールの重要な歴史だし、我々は犠牲者の子孫だからこの事件を忘れてはいけない。でも過去は過去だ。憎いのは昔の日本軍で、いまの日本人にこの行為の責任がないことは誰でも分かっている。日本人の君が旅行先でシンガポールを選んでくれて、この慰霊塔に関心を持ってくれることはとてもうれしい。では、シンガポールでの時間を楽しんでくれ」
なんだ。
ガンディーだったか。
彼らはそんなイケメンなことを言って、オススメのレストランや料理を教えてくれた。
「過去のことで、現在の日本人が罪悪感を感じる必要はない。大切なのは未来だから、日本人とシンガポール人はこれから友人として協力していけばいい」と言う2人に被害感情は一切ない。
本当に対等な関係で接してくれる。
「ライオン都市」という割には住人の心はおだやかで温かい。
こういう人と出会うと、日本人としても不幸な過去にとらわれてはいけないけど、忘れてもいけないと思う。
カンボジア人ガイド「日本人と韓国人の違いは、見た目で分かる」
現代シンガポールの若者であるからこそですよね。
30年前のシンガポールは、多民族都市国家であったことは現代と同じですが、その一方で年配の「反日華僑」がまだ結構いましたよ。戦争体験者も生存してましたから。
現在の状況は、日本人が、これまで東南アジアでなしてきた「ふるまい」の結果でもあります。
シンガポールは、おそらく、今後も東南アジア諸国の「一大ビジネス拠点・文化拠点」としての役割を果たしていくでしょう。日本にとって「シーレーン及びクァッドルートの確保」という意味でも、絶対に敵対すべきではない国でもある。今後も良好な関係を維持していきたいものです。
その時代に生きていた人は別の見方をすると思います。
戦後に日本がしてきた支援のおかげもあって、東南アジアで日本への印象はすごくいいです。