日本人の発想:熊本の由来、「大坂」が「大阪」になったワケ 

 

夷(えびす)とは「東方の未開人」という意味だし「虫」の字もあるし、「蝦夷(えぞ)」って地名はかなり侮辱的だ。
なのでもっと良い名前に変えよう! ということで明治時代にいまの「北海道」が生まれた。
自分の住んでいるところを文明の中心地と考え、遠方を「未開人の住むところ」とみる中華思想から、昔の日本人は異民族(アイヌ)の住む北海道を「蝦夷(地)」と呼んだ。

そんな記事をこのまえ書いたのですよ。

【北海道の由来】中華思想の蝦夷を改名、昔は3県ありました

日本人はコトバの影響を強く受けるから、それを見たり聞いたりすると、気分が暗くなるような縁起の悪い言葉を変えることがよくある。
蝦夷から北海道への変更もその一つだ。
「北海道」のように言葉を丸ごと変えるケースもあれば、不吉・不安・不快を感じるような地名を読み方はそのままで、気持ちが落ち着いたり明るくなるようなポジティブ漢字に変えるケースもある。
「死縁」と「支援」では受ける印象がまったく違うことは、日本人ならいうまでもなし。
縁起の悪い言葉を良いものに変えることは日本人的な発想で、日本の文化でもある。

たとえば「熊本」。
古くは「隈本」(くまもと)と書いていたのを江戸時代のはじめ、この地を治めることになった加藤清正がこの字を見て気分を悪くする。
茶臼山にあった隈本城を大規模な城につくり変えたとき、隈には「畏(おそれる、かしこまる)」の字があることから、清正は「武将が住む城の名前にふさわしくない」と考え強い「熊」の字の替えたと言われる。
これはただの言葉あそびではなくて、当時の日本人にとってはとても重要で真面目なことだ。

ちなみに外国人が日本へやって来ることを「来日」や「訪日」と言うように、県外から熊本へやって来ることを熊本民は「来熊(らいゆう)」や「訪熊(ほうゆう)」と言う。
個人的に熊の音読み「ゆう」は絶望的に聞かないけど、熊本の人は熊本へ戻ることを「帰熊(きゆう)」と言うに、熊本県民にはわりとポピュラーな読み方らしい。

 

隈本から熊本への変更は、戦士である武士のイメージに合わせたものだった。
でも「大坂」から「大阪」へのチェンジは、その武士を畏れた(恐れた)からとも言われる。
大阪の由来にはいくつか説があるのだが、ここでは「漢検」を行う 日本漢字能力検定協会 のホームページにある内容を参考にしよう。

まず「反」の字には傾斜の意味があって、それに土がついた「坂」も、丘を表す「阝」のついた「阪」も意味は同じ。
見た目が少し違うだけで、坂も阪も読み方と意味は同じ漢字だ。
はるか昔、このあたりの地名は大坂や小坂と書いて「オサカ(またはオザカ)」と読んでいたのを、豊臣秀吉が大坂城を建てたことから、「大坂」がよく使われるようになって「小坂」は消えていった。
戦国武将的には、城に畏や小の字を付けたくなかったと思われ。

また蓮如が「小より大の方が縁起の良い」と言ったことで、小坂が大坂(大阪)になったという話もある。
蓮如がいまの大阪城のあたりに(石山本願寺)を建立し、勢力が広がったことで大坂という呼称が定着したという。
もともと小坂と書くこともあったから、「大きな坂があったから大坂になった」という説は都市伝説だ。

江戸時代には「大坂」が一般的で、たまに「大阪」も使われることがあった混在状態を明治政府が「大阪」に統一する。
それにはこんなワケがあった。
幕末のころ、坂は「土に返る」、つまり死ぬということで縁起が悪いと狂言師が言い始める。
さらに明治時代になると、「士(さむらい)が謀反を起こす」と読めるから政治的に問題があるという声が上がり、1868年に「大阪府」が設置されたとき大阪が正式な名前となった。
実際この後、江戸時代には武士だった士族が佐賀の乱や西南戦争といった大反乱を起こしたのだから、明治政府の心配は杞憂じゃなかった。

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ということで、豊臣秀吉が大阪城を建てたころに「小坂」が消えて、明治10年ごろになると「大坂」が消えて日本社会に「大阪」が定着した。
ちなみにウィキペデアの「大坂」には、大坂の「坂」の字を分解すると「土に反る」と読めて縁起が悪いという説と、明治新政府が「坂」が「士が反する」、すなわち武士が叛く(士族の反乱)と読めることから「坂」の字を嫌ったという説を載せている。

隈本→熊本、大坂→大阪の変更には、強くて勇猛な武士のイメージが原因にあるようだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。