2月22日を「にゃんにゃんにゃん」と呼べば猫の日で、ニンニンニンと読むと「忍者の日」。
ということで忍者の里で知られる滋賀県甲賀市ではこの日、市役所の職員は忍者になって働くのだった。
数百年前の伊賀や甲賀のリアル忍者は、21世紀に自分たちが「NINJA」として世界的に有名になるなんてことは想像のかなたにあったはず。
ましてやパンジャブ州出身のインド人が「ニンジャ」という名前でデビューするなんてことは。
うん、この張りのある声はまさにニンジャのそれ。しらんけど。
ニンジャは特に欧米で有名で知人のアメリカ人は、「アメリカで有名な日本のアイテムはサクラやスシよりも、断然ニンジャだ。ニンジャを知らないヤツなんて考えられないよ!」という。
ドイツ人と話をしていたとき、ドイツでの忍者の知名度を聞いたら「バツグン」ということだったんで、彼にニンジャのイメージについて聞いてみた。
まず彼の頭では、昼間に活動するのは武士で夜になると動き出すのが忍者。
どっちも戦うことを仕事にしているけど、武士をヨーロッパの騎士とするのなら忍者はアサシン。
忍者はターゲットに忍び寄って屠る暗殺者という感じ。
両方好きだけど、忍者の方がカッコイイ。
なるほど。
武士は戦士で、ヨーロッパなら騎士に相当するという話はよく聞くけど、武士は昼に属する者で忍者は夜という表現はなんか斬新だ。
そういう住み分けはボクの頭の中にもあるから特に違和感はない。
でも実際の歴史で「武士 vs 忍者」の戦いは、「空手 vs 柔道」の異種格闘技戦みたいで想像できない。
でも、両者が直接対決した例はある。
1578年~81年の間に、伊賀の国人と織田軍が2回戦った天正伊賀の乱だ。
伊賀の地を手に入れようと織田信長の次男・織田信雄が8000の兵を率いてやって来ると、伊賀の忍者衆がこれを迎え撃って撃退した。
同年10月25日に集結した忍者たちが総攻撃を開始した。不意を突かれた滝川雄利軍や人夫衆は混乱し、昼過ぎには残存兵力を糾合し伊勢国に敗走した。
この敗戦に激怒した織田信長は、再び織田信雄を総大将にして今度は5万の大兵力で伊賀国に攻め込む。
これに忍者を含めた約9000人の伊賀郷士衆が応戦したものの、さすがにホンキになった織田軍には勝てず、蹂躙されて伊賀国は信長のものになる。
敗北という屈辱や怒りもあって、このときの織田軍にはハンパと容赦がなく、寺や家々は焼き払われて3万人の住民が殺害されたという。
この第二次天正伊賀の乱で、伊賀の忍者集団は大打撃を受けた。
ドイツ人には残念ながら、やっぱり正面衝突だと忍者は武士に勝てないらしい。
個人的に、武士と忍者の大規模な直接対決はこの戦いしか知らない。
そんな武士も忍者も時代には勝てなかった。
江戸時代までは両者ともそれなりの仕事はあったけど、徳川幕府が倒されて明治時代になると、そろって役割を失って消えていく。
そしてはいまでは2月22日のニンニンニンの日に、市役所の職員が忍者になって働くのだった。
世界の国名・地名:語尾の「イア(ia)」はラテン語で「~の国」
世界の見方や常識が変わる15の地図。これが本当の地球だった。
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