【生類憐み】徳川綱吉の仁心・ヨーロッパ人の動物愛護精神

 

「日本中の人が仁の心を育(はぐく)むように」

そんなスバラシイ目的から、17世紀に徳川綱吉は「生類憐れみの令」をだす。
姿や形、大きさに関係なく、この世に生きるものにはすべて尊い命があるのだから、人はそれを大事しないといけない。
ということで犬、魚、貝、昆虫、さらには捨て子や病人、お年寄りといったこれまで軽視されていた人たちが保護の対象となった。
道に倒れている酔っ払いがいたら介抱しなさい、という命令もあって割とやさしい。

*ちなみにこの「生類憐み令」なんだが、これはそういう一つの命令があったのではなくて、100回以上も出た「生き物を大切にしなさい」というお触れ(命令)全体を指すから、最近では「生類憐み政策」と言い替える動きもある。

どんな植物にも名前や個性があって「雑草」という草はない。そんなことを言った昭和天皇みたいな発想はとってもステキなんだが、綱吉の時代はやり方が極端すぎた。

・ツルを撃った人の首をはねる。
・カモを罠で獲った人が牢にぶち込まれそこで死ぬ。
・蚊をたたいて殺した人が処罰を受ける。

ほかにも、ヘビなどの生き物を使って芸を見せることや鳥やカメの飼育までも禁止になるとか、かなり行き過ぎことが多々あった。
この時代の「生き物カースト」では人間が最下層にいるような。

なかでも、VIPレベルで大切にされたのが犬。
襲ってくる野犬に石を投げたり棒でたたいて撃退するのは、現代の日本なら正当防衛でノープロブレムでも、この時代だと犬を傷つけた人間が処罰を受ける。
そこで綱吉は江戸中の野良犬を捕まえて収容するために、とんでもなく広い施設を作ってそこで世話をすることにした。
現在の中野区あたりにあった施設には約30万坪の面積があり、数万から30万頭の犬が養育されていたといわれ、維持費は1年で122億5000万円ほどかかったと中野区ホームページの「なかの物語 其の五 徳川将軍家と中野」にある。
その費用は庶民が負担したはずだ。

「犬公方」と言われたほど綱吉が犬を重要視した理由は、綱吉が戌(いぬ)年生まれだったからだとか。
「生き物に対して慈(いつく)しみの心を育むように」という、いわゆる「仁心の涵養」の思いから始めたこの事業は、綱吉にとってはまだまだ不十分だったらしい。
「生類憐みの令だけは、私の死後も残してほしい」と次の将軍・徳川家宣(いえのぶ)に遺言を残して綱吉はこの世を去った。
「革命いまだ成らず」みたいな?
「わかりました。必ずや」とこのとき家宣や周囲の者は涙を流して言ったと想像するが、綱吉の死後10日目(1709年3月1日らしい)に生類憐れみの令は廃止されて、日本の歴史上、最大だった犬小屋も消えた。
実はみんな、あの令が大大大っ嫌いだったらしい。

ただ捨て子や捨て馬を禁じるとか、人や動物を保護する法令でその後も受け継がれたものもあるから、この過激な政策で育まれた仁心はあった。

 

牢にぶち込むとか処刑するといった罰は別として、徳川綱吉の動物保護精神は現代のヨーロッパ人にわりと近いと思うのですよ。
知人のドイツ人やイギリス人が日本へ来たとき、それを見て「マジかっ」と思わず足を止めるほどのショックを受けたのが、ペットショップで犬や猫がオリに入れられている光景だった。

 

 

イギリスやドイツでこれは法律で禁止されていて、あちらのペットショップでは犬や猫を売っていないらしい。
犬はブリーダーが育てていて、野原を自由に走り回ることができる環境が確保されているから、知人は日本のペットショップでオリに閉じ込められた犬や猫を見て心に痛みを感じた。
「生類憐みの令」で作られた犬の収容所(お囲い)は現代の日本のペットショップよりも、こんなヨーロッパ人のやり方に近い。

綱吉の時代には禁止されていて、現代の日本ではOKの「猿回し」も同じだ。

 

 

東ヨーロッパから来たリトアニア人の女性と京都旅行をしたとき、どこかのお寺の境内で猿回しをしていた。
こんなショーはヨーロッパではないだろうと思って「見てく?」と聞くと、「あれは、私には動物虐待に見えるからノーサンキュー」と拒否られた。
かといって「あんな野蛮なショーは即刻廃止すべきっ」と怒ることはなく、「わたしは、「あれを見ない」という自分の権利を行使する」みたいなメンドウクサイ言い方をしてその場を離れる。
先ほどのドイツ人に上の動画を見せて感想を聞いたら、「ドイツを含めてヨーロッパの国だったら、これは動物虐待と思われてNGだろうね」と言ってこんな話をする。

「あのサルは人間みたいで、本来の動きや発想ではなくて不自然だからボクは好きじゃない。サルをあそこまで意のままに動かすには、相当厳しい訓練をしたはずだからそれは虐待だと思う。北朝鮮のマスゲームを知ってるだろ?あれを見て「スゴイ、素晴らしい!」と感動する人もいれば、「非人道的な訓練をしたんだなあ」と悲しく思う人もいる。ボクは後者だ。ヨーロッパでは犬や猫を友人や家族の一員と考える人が多いから、オリに入れられているのを見ると残酷に感じて悲しくなる。」

ただ猿回しは日本の文化や伝統の一つだから、自分はそれを見ないけど非難するつもりもない。ヨーロッパでサルはとても珍しくて、ドイツではペットとして飼うのはたぶん違法だと言う。

ということで、「生類憐みの令」の時代の日本と現代のヨーロッパを見てみると、いろんな違いがあるのは当然としても犬の保護の仕方や動物ショーの禁止とか、徳川綱吉が理想とした「仁心」とドイツ人やイギリス人の動物愛護精神には近いものがあると思うのですよ。
綱吉にはカニやエビを安楽死させる発想はなかったけど、江戸城で貝やエビを料理に使うことを禁止した。

ヨーロッパ人の動物愛護:痛みを感じるカニ・エビは”安楽死”

いまの日本人には「天下の悪法」と評価の低い「生類憐みの令」でも、ヨーロッパ人がその政策の具体例を見たら「あ、これは先進的!」と思うものもあるのでは。

 

 

日本人・タイ人・インドネシア人の動物観の違い。やっぱ宗教?

イスラム教徒が豚肉と犬を嫌う理由(不浄)。猫を好きな理由

「Why did you come to Japan(You は何しに日本へ?)」は失礼な質問?

外国人の「日本人あるある」。またかよ!と思わせる5つの質問

日本はどんな国? 在日外国人から見たいろんな日本 「目次」

 

2 件のコメント

  • > 維持費は1年で122億5000万円ほどかかったと中野区ホームページの「なかの物語 其の五 徳川将軍家と中野」にある。その費用は庶民が負担したはずだ。

    いやいや、違います。少なくとも江戸の庶民は、犬小屋や犬の世話をするための費用を負担していません。
    なぜなら当時、江戸の庶民はみな「無税」だったからです。江戸時代の税金は、原則として「年貢米」という形で農民だけが負担していたのです。その他には江戸など大都市の商人に対して、「冥加金」「運用金」などの名目で臨時の「法人税」のような制度(?)もありました。(国税庁のホームページ「江戸時代の税金」より)
    ですが税金として米をそれほど大量に徴収しても、江戸幕府や武士だけでとても食べ切れないし、米という食料だけあっても武士の生活は成立しません。年貢米を取り立てた幕府はそれを主な歳入として国家予算を立て、その中から武士(役人)への「歳費」として「お下し米」を与え、それをもらった武士たちはその大半をすぐに「両替商」へ持ち込んで米を売ることにより現金収入を得ていたのです。つまり「米本位制」とも言える独特の経済システムが江戸時代の日本では成立していたのです。

    江戸の庶民の職業は商工業の労働者だったのですが、彼らが武士たちに物を売ることによって、江戸および日本の全体にまで及ぶ経済循環が成立していたという訳です。つまり、世の中の経済成長によって武士以外の社会階層における経済活動が規模を増すにつれ、武士階級は自然に没落していった、すなわち江戸時代がいずれ経済的に息詰まるのは必然であったということです。武士つまり役人の世界の地位・役職は原則として世襲制であり、意図的に給与アップでもしない限り、他分野のように「経済成長」することがない訳ですから。

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。