黒人初のメジャーリーガーと、アメリカ社会の差別の空気

 

きょう4月15日はアメリカの「Tax Day」、確定申告の締切日。
まあそれはソレで大事なんだが、ここで取り上げたいのは「ジャッキー・ロビンソン・デー」だ。

黒人として初めて大リーグでプレイをした人物は、厳密には「モーゼス・フリート・ウォーカー」なんだろうけど、一般的に「黒人初のメジャーリーガー」といえばジャッキー・ロビンソンを指す。
彼が初めてメジャーでデビューした4月15日を記念して、この日に行われる試合では、出場する選手全員が彼の背番号「42」を付けることがお約束になっている。

1919年に生まれた彼の祖父は、アフリカから連れて来られた奴隷だった。
リンカーンによる奴隷解放宣言は1863年だから、ロビンソンが生きた時代は、もう黒人が家畜のようなムゴイ扱いを受けることはなかった。が、ヒドイ人種差別は日常茶飯事。
ロビンソンは1945年、「ニグロリーグ(Negro League baseball)」のチームに入団して野球選手として活躍した。
いまのアメリカで「ニグロ」という言葉は黒人に対する最悪の差別語で、公の場でそれを口にした瞬間、すべての社会的地位を失うほどの破壊力がある。
この「ニグロリーグ」という名称は、差別が常識だった当時のアメリカ社会の空気をよく表している。
試合のために移動する際、ホテルは黒人を客として受け入れなかったため、選手はバスの中で寝ていたという。

 

ジャッキー・ロビンソン

 

そのころメジャーリーグのブルックリン・ドジャースの会長リッキーは、「どこかに優秀な選手はいないかな~」とチームを勝利に導くような人材を探していた。
そんなとき出会ったのが、ニグロリーグで活躍していたロビンソンです。
すこし前まで黒人を奴隷として使役していたこともあって、白人優位の当時は、白人と黒人が一緒にプレイすることを禁止する地域もあった。
そんな空気を背景に契約の際リッキーは、

「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ。」

と言ってロビンソンの頬(ほお)を殴る。
すると次の瞬間、「やってられるか!」とリッキーの頬を殴っていたら、いまのジャッキー・ロビンソン・デーはなかった。
ロビンソンは「頬はもう一つあります。」と静かに答えたという。

まずはマイナーリーグでデビューした彼は早速ですが、打率で球団新記録を打ち立てる。
この大活躍でロビンソンはメジャーリーグに移り、1947年4月15日にデビューを果たし、そのシーズンは新人王を受賞しチームの優勝にも貢献する。

とはいえ、MLBのオーナー会議では彼のチーム以外の全ての球団が、ロビンソンがメジャーでプレイすることには反対していたし、ロビンソンが出場するなら対戦を拒否するというチームも現れた。

しかし、Time goes by。
時代とともにそんな差別の空気も薄くなっていって、黒人である彼がプレイしたことをメジャーリーグの名誉と考える人も増えてくる。
1987年には新人王にあたるルーキー・オブ・ザ・イヤーに、「ジャッキー・ロビンソン賞」という別名が付けられたし、ロビンソンが歴史を刻んで50周年になる1997年4月15日に、彼の背番号「42」が全球団共通の永久欠番となった。
奴隷として連れて来られたおじいちゃんは、草葉の陰でこれを見て涙が止まらなかったかも。

ちなみに2020年に米大リーグ機構は、かつてのニグロリーグの記録もメジャーリーグの記録としてカウントすることを発表し、このリーグでプレーしていた約3400人の選手をメジャーの選手として認定した。
かといって、アメリカ社会から黒人差別はいまもなくなってはいない。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。