むかしむかし、人びとがご神木である桜の木を植え続けたことで、いまの吉野は「桜の都」となったのだった。
吉野というと1594年の4月17日、豊臣秀吉がここで花見を開いたことが有名だ。
日本の花見の始まりは奈良時代の貴族の行事にあるといわれていて、そのころは梅を鑑賞してたが平安時代になると桜に変わった。
愛でる対象が中国人好みのウメからサクラになったということは、日本人の“文化的独立”を意味している。
鎌倉・室町時代になると、貴族文化の花見が武士の間にも広がっていって秀吉の大花見大会へとつながる。
この天下人が開催した花見には徳川家康、伊達政宗、前田利家といった戦国時代を代表する武将や茶人、連歌師など5000人が参加したとか。
鎌倉時代の歌人で日本最高レベルの随筆家、吉田兼好が書いた『徒然草』には、身分の高い人間と田舎者では花見のやり方が違うと書いてある。(第137段)
風情や趣きのわかる高貴な人は遠くから、静かに桜の花を見て楽しむのに、田舎の人間は花の近くに行ってジロジロ見たり、酒を飲んで歌ったりしてとにかく騒がしいし、心ない者は桜の枝を折ってしまう。
田舎者は基本的に自由で、夏の泉には手や足をつけるし、雪があると足跡を付けると吉田兼好はウンザリしたように書いている。
静かに花を見てしみじみとした情緒を感じる上級国民からすると、田舎の人間はガサツに見えたらしい。
そんな記述から日本では、全国ではなく限られた地域なんだろうが、鎌倉時代には庶民も花見を楽しんでいたことがわかる。
花見という日本の春の風物詩は、いまでは海外でもかなり知られるようになった。
それで最近、浜松市に住んでるインド人から「こんど花見に行きたいです!」と言われたんで、こっちが車を出す代わりに、そっちで場所を決めてもらうことにした。
インド人は花見をする場所でどこを選ぶんだろう?と興味深く思っていたら、彼は「この桜が見たいです」と動画の奈良県吉野をチョイスする。
そこだと浜松からの日帰りは不可能だから却下すると、次に提示した彼のベストアンサーは「田貫湖」だった。
友人といろいろ調べて、桜と富士山のコラボは無敵だと判明したらしい。
ということで男3人と女3人、全員20代のインド人6人と、春の田貫湖へ花見をしに行くことになる。
その日は気持ちいいほどの青空に恵まれて、完璧な富士山と7分咲きぐらいの桜を見ることができた。
田貫湖までの道でこんなパーフェクトな富士山が見えていたから、現地に着いたらインド人による写真撮影大会が始まる予感しかしなかった。
それは的中で、富士山と桜と湖の写真を数枚、そんな景色をバックに自分の写真を友人に撮ってもらって、そのデキを確認して顔の角度を変えるなどしてもう数枚撮って、さらに集合写真の後に、セルフィーで自分の顔をアップにした写真を撮る。
6人ともだいたいこんなことをしていたから、とにかく時間がかかるし動かない。
でもまぁ海外に行って、目の前にこんな自然が広がっていたら、バシャバシャ写真を撮りたくなる気持ちわかるし、外国人が富士山と桜に喜ぶ光景は日本人としてうれしい。
ただ共感できるのはこの辺までで、このあと日本人とインド人の考え方や行動の違いを知った。
「桜の花にはニオイがあると聞いたけど、これはにおわない。あなたにはニオイがするの?」とインド人女性に聞かれるのはいいとして、彼女が枝を持っていることにビックリ。
「いやいやいや、サクラの枝を折ってはいけない。それはマナー違反になる」と言うと、「そうなんだ」と笑いながらポイっとする。
このやり取りを見てたインド人は、ダレもナニも言わない。
「公園にある花を取ってはいけないというのは、20歳を過ぎた大人に必要な注意なのか?」と、ボクが内心で驚いていることを察したインド人男性がこんなことを言う。
シャイな日本人と違ってインド人は基本的にオープンにして自由で、自分がやりたいことをするし、言いたいことを言う。他者に寛容で、自分に迷惑がかからない限り、他人が何をしていても気にしない。花を折るのはいいことは思わないけど、小さいことだし自分には関係ないから、友人がそれをしてもとくに何も言わない。
インド人によるこんなインド人論にほかの人も賛成で、「だからわたしには、あれが不思議に見えるんです」と1人が対岸のキャンプ場を指さす。
そこには狭いスペースにいくつものテントが張られていて、かなりの人がいることは間違いない。にもかかわらず、こちからからだと、たまに笑い声が聞こえてくるぐらいですごく静かだ。
インド人もピクニックが好きで、景色の良いところに行って食事を楽しむことはよくやる。
もしここがインドだったら、大声で話をしている人や音楽をかけて踊っている人がいて、いろんな音や動きがあってきっとすごくにぎやかになっている。
それにインド人はフレンドリーだから、他人が踊りの輪の中に入ってきても気にしないし、一緒に踊って楽しむ。
でもここでは、あんなに大勢の人がいるのに人の気配がしないから、ちょっと不自然に思う。
彼らは田貫湖だけじゃなくて、浜松城公園で花見をした時にも同じことを感じたという。
公園にはキレイな桜があって、たくさんの人たちがシートの上で食べたり飲んだりしていたのに、全体的にすごく静かで、音や声があまり聞こえてこない。
地面にゴミが落ちていないところもインド人とは違う。
日本人は電車の駅や地下鉄で自然に列をつくって並んでいて、降車や乗車をスムーズに行うし、車内でもみんな静かにしている。そんな日常生活だけでなくて、花見のような時でも、日本人は秩序を守りながら楽しんでいる。
インドにいた時、日本人は他人に配慮して行動するし、礼儀正しくてマナーも良いと聞いていて、花見の様子を見てそんな国民性がよく分かった。
わたしたちからすると、本当に楽しんでいるのかチョット不思議に思うけど、これが日本人のスタイルなんだと思う。
「郷に入っては郷に~」は人類共通のルールだから、インドではインドの、日本では日本のやり方を尊重する必要がある。
そのための一歩は、まず違いを知ることだ。
周囲の人だけでなく、自然にも配慮しているような静けさ in 田貫湖
今回、一緒に花見に行ったインド人はみんな大学を卒業していて、完璧な英語を話すエリートばかりで、一般的な日本の大学生よりも深い知識と高い教養を持っていると思う。
でも、マナーや行動を見ていると、「なぜ?」と首をかしげることが何度かあった。
21世紀に鎌倉時代の身分を持ち込むワケじゃないんだが、それでも日本人とインド人の花見やピクニック楽しみ方の違いを聞くと、兼好法師の話が思い浮かんでしまう。
参考動画
日本人の食文化:江戸は犬肉を、明治はカエル入りカレーを食べていた
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