いまではそんなでもないけど、20年ぐらい前、わが浜松市にはたくさんの日系ブラジル人が住んでいた。
もちろん現在でも、他の市町村に比べれば多い。
そのころ知り合った日系ブラジル人に「こんにちは」をブラジル語で何ていうのか聞いたら、「そんな言葉はありません!」と笑われた。
このとき初めて、ブラジル人はポルトガル語を話すということを知る。
そうカン違いしている日本人はほかにもいて、彼はそれまでに何回か「ブラジル語」というナゾ言語について質問されたらしい。
*ブラジルのポルトガル語は独自に進化した「ブラジルポルトガル語」だから、それをブラジル語と表現することはある。
ブラジルについての日本人の誤解はほかにもあって、南米の国ではスペイン語が使われているから、ブラジル人もスペイン語を話すと思っている日本人もいたとか。
そんな21世紀の日本人のカン違いの原因をつくったのは、ペドロ・アルヴァレス・カブラルというポルトガル人だ。
1500年のきのう4月22日、カブラルがヨーロッパ人では初めてブラジルに到達したことで、現在のブラジルの歴史が始まった。
「ブラジル」の国名は、カブラルが“発見”したことに由来する。ということはなくて、ブラジルの国名は「パウ・ブラジル」という木による。
カブラル
ポルトガルによるブラジルの植民地化が始まった年、それは1500年だからとても覚えやすい。
ちなみに、リオ・デ・ジャネイロ(Rio de Janeiro)とはポルトガル語で「1月の川」という意味。
コロンビア、ベネズエラ、エクアドル、ペルー、ボリビア、チリ、アルゼンチン、パラグアイ、ウルグアイといった南米の国はスペイン語を話すのに、ブラジルだけはポルトガル語を使っている。
なんでブラジルは南米の「ハブ」、良く言えば「孤高」なのか?
その理由はトルデシリャス条約にある。
コロンブスが新大陸(アメリカ大陸)を“発見”すると、スペインとポルトガルとの間で土地の領有をめぐる争いがぼっ発した。
それでローマ教皇アレクサンデル6世が1493年に、人類に無断で地球上に植民地分界線(教皇子午線)を引いて、いまのブラジルのあたりから西をスペインのもの、その東をポルトガルのものにすると言いやがった。
こんなふうに自分たちは世界を好きに分割することができると、当たり前のように考えるのがまさにヨーロッパ中心主義だ。
それでもスペイン・ポルトガルの対立は続き、教皇子午線を少し西へずらすということで合意して、翌年にトルデシリャス条約を結んで海外領土をめぐる争いを終わらせた。
取るで、いやトルデシリャス条約によって、南米のブラジルはポルトガルの“もの”、それ以外はスペインの“もの”と決められた。
教皇子午線(右側)
翌年のトルデシリャス条約でチョイと西へ移動した
画像:Tzzzpfff
ブラジル人はブラジル語を話す。
ブラジル人もスペイン語を話す。
そんな現代の日本人の誤解は歴史的にはトルデシリャス条約と、それを生んだヨーロッパ中心主義というエラそうな発想に由来する。
そしてそれは1500年にブラジルがカブラルに見つかっちゃって、ブラジルがポルトガルの植民地化されたことから始まった。
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