世界中のロイヤルファミリーの中で、最も長い歴史を誇るのが日本の天皇家。
では歴代の天皇の中で、在位期間が最も長いのはいったいダレか?
答えは約62年の昭和天皇で、約45年の明治天皇が2位、約37年の光格天皇が3位となっている。
で、逆に天皇だった期間が最も短いのが、1221年のきょう5月13日に即位した仲恭(ちゅうきょう)天皇だ。
歴代最短という残念な記録を持っているのは本人のせいではなくて、そういう時代に生まれたから。
1218年に仲恭天皇が生まれたころ、すでに朝廷と鎌倉幕府はバチバチと対立していて、3年後に、日本の歴史では唯一となる「天皇側 vs 幕府」の直接対決、承久の乱が起こる。
父の後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府と戦うことを決意した順徳天皇は、1221年に天皇の位を息子にゆずったことで、仲恭天皇はわずか3歳(数え年で4歳)で天皇になった。
じいちゃんと父ちゃんの都合で天皇にさせられただけで、いま日本でどんな事態が進んでいるのか、仲恭天皇は分かっていなかったはず。
天皇という立場にいるといろんな制約があって自由に動けず、幕府との戦いで不都合があったから、順徳天皇は息子にその地位を息子に丸投げしたらしい。
そして始まった承久の乱は京都を制圧した鎌倉幕府(北条家)の勝利に終わり、首謀者だった後鳥羽・順徳上皇はそれぞれ隠岐・佐渡に流された。
この戦いによって、朝廷に対する幕府(武家政権)の優位は決定的になり、明治維新でそれがひっくり返されたのは歴史の授業で習ったとおり。
この戦いが始まると、まだ幼児だった仲恭天皇は母の実家である九条家の屋敷に避難して、戦いが終わると鎌倉幕府によって即退位させられた。
1221年の5月にワケの分からないまま天皇になり、7月に強制終了させられた結果、仲恭天皇は歴代天皇の中では最短の在位期間となる「約2ヶ月」の記録ホルダーとなる。
仲恭天皇はそのまま避難先の九条邸で17才で亡くなった。
天子の位を受け継ぐ「践祚(せんそ)」はしたが、即位式は行わなかった仲恭天皇は長い間、「半帝」とか「九条廃帝」とか呼ばれていて、天皇としてみなされていなかった。
「仲恭天皇」という名前(諡号)をもらうことができたのは、600年以上後の明治時代になってから。
仲恭天皇ほど時代に翻ろうされた天皇もなかなかいない。
でも、その原因である承久の乱を始めたのは父と祖父だから、仲恭天皇は時代と血縁の“ガチャ”に恵まれなかった。
仲恭天皇のほぼ直前、平家の滅亡とともに壇ノ浦の水底へ「極楽浄土へお連れ申す」と身を投じ「させられた」安徳天皇も、悲劇の幼い天皇でした。歴代天皇の中で最も短命の、唯一「戦乱で落命した」と記録されている天皇だそうです。
奈良時代の末期、孝謙称徳女帝(この天皇も暗殺されたという説あり)から平安時代になって、政治権力は実質的に藤原家に奪われ、そこからさらに院政と武家勢力の伸張を経て鎌倉幕府へと移りゆく時代。この二人の運命は、結局、天皇から政治権力が奪われて行く過程の時代に不運にも生まれついてしまった幼少の天皇に降り掛かった悲劇であると思います。
現代の我々は、NHK大河ドラマでそれを「娯楽として」擬似的に体験するのみですが・・・。
娯楽とは基本的に「遊びや楽しみ」のことです。
???
TVドラマの視聴って、基本的に「遊びや楽しみ」のうちではないのですか?
広い意味では「勉強」だって、大本をたどれば「遊びや楽しみ」の一種であるとも言えます。
感性は人それぞれですが、人が死ぬ場面で「遊びや楽しみ」という言葉を使うのは例外的でしょうね。