5月28日は花火の日。
1732年に享保(きょうほう)の大飢饉が発生し、1万人以上の餓死者がでて、およそ250万人が飢餓に苦しんだといわれる。
ちなみにこのときサツマイモの栽培が定着していた薩摩藩では、飢えに苦しむことはなかったことから、吉宗は青木昆陽らに栽培を命じてサツマイモが広く普及していった。
「不幸は友だちを連れてくる」なんていうように、この大飢饉に疫病が重なって、日本ではさらに多くの人が亡くなってしまう。
それで将軍・徳川吉宗が翌1733年5月28日、「犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行いました」と隅田川花火大会の公式ホームページに書いてある。
このとき花火を上げた「両国の川開き」がいまの隅田川花火大会の由来だという。
記録に残る花火大会ではこれが日本最古らしい。
隅田川花火大会の始まりはこんな感じに、飢饉や疫病による死者の慰霊と、悪病退散を祈願する目的で打ち上げられたといろんなサイトに書いてある。
でも、そんなのは明治時代以降にできたつくり話で、実際には江戸時代に、隅田川での船遊びが許された納涼花火解禁期間の開始日に、花火師が自分の花火を宣伝するために打ち上げたことに由来するとウィキペデアにはある。(隅田川花火大会)
隅田川花火大会は、いわば日本花火界のラスボスだから別格として、浜松のような地方で行われる花火大会でも「本当にキレイだ、スゴイ!」と称賛する外国人はフツウにいる。
違うのだよ、花火のレベルが。
花火はもともと海外由来だし、21世紀のいまでは世界中で打ち上げられているから、それ自体はめずらしくもないけど、日本とはやっぱり違いがある。
英語版ウィキペデアの説明を見ると、大砲や戦争のような爆発音はペットや野生動物、そして多くの人間にとってトラウマになるから、最近では「サイレント花火」が人気を集めている。
イタリアの街では2015年にサイレント花火を義務化したという。
「除夜の鐘がうるさい!」という苦情がきたから廃止した、という話は聞いたことがあっても、音のない花火は初耳だ。
Silent fireworks are becoming popular for providing all the beauty without the added explosive sounds imitating artillery and warfare that traumatize pets, wildlife, and many humans. The Italian town of Collecchio switched to silent fireworks in 2015, mandating the switch.
日本の花火について、外国人からたまにこんなことを聞かれる。
「ウチの国で花火は新年のお祝いでよく打ち上げられていて、『冬のイベント』というイメージがあるけど、日本では夏が花火のシーズンになっている。なぜなのか?」
たしかに湿度が高くてムシムシている夏よりも、乾燥している冬の方が、花火はキレイにクリアに見える。
それは夏と冬の夜景や星空を比較すれば分かる。
「冬だと寒くて、みんな外に出たがらないからじゃね?」とかテキトーに言ったら、「初詣では、大きなお寺が人で埋まるのに?」と切り返されて沈黙。
雨も降らないし、単純・客観的に考えれば花火は冬にやった方がいいかも。
多くの国で新年を象徴する花火が日本では夏の風物詩になっていて、冬に打ち上げるという地域は聞いたことがない。
なんで日本では、花火は夏のイベントなのか?
その理由をNHKの番組『チコちゃんに叱られる!』の中で、日本煙火協会の専務理事でキャリア40年の花火師さんが解説してた。
それによると、1732年に発生した享保の大飢饉のあと、高温多湿の江戸でコレラが流行って多くの死者がでた。
それで翌年、徳川吉宗が隅田川の川開きの日に、死者の慰霊と悪疫退散を願う水神祭を行って、花火を打ち上げる。
水神祭はお祓いの祭りで、火は古来から清めのために使われていたという。
そして翌年から、コレラが流行らないように、夏初めの「川開きの日」に花火を打ち上げることがお約束になっていく。
死者の慰霊と悪疫退散のために花火をしたとなると、隅田川花火大会の公式ホームページに書いてある内容と基本的に同じだ。
そして、たくさんの人が花火を見に集まってくれば、花火師や商人にとってはビジネスチャンスになるから、彼らがタッグを組んで花火大会を盛り上げていく。
やがて日本では、これが夏の風物詩として定着していった。
こういう過程は海外にはないから、同じ花火でも日本では独自のものになる。
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