15世紀、くじ引きによって第6代室町将軍に選ばれた足利 義教(よしのり)。
それで「くじ引き将軍」なんて呼ばれる彼はかなり自己中で残忍で、自分に反対する人間を次々と殺していって「万人恐怖」という時代をつくった。
日本の歴史に「万人恐怖」があれば、フランスには世界的に有名な18世紀の「恐怖政治」がある。
この時代の恐怖政治をフランス語で「terreur(テルール)」(恐怖)といい、これが暴力や脅迫によって政治的な目的を達成しようとする現代の「テロ」の語源となった。(テロリズム)
つまり、テロとはもともとは「恐怖(による政治)」のこと。
そんなフランスの恐怖政治は市民革命の最中、ジャコバン派のロベスピエールによってきょう6月2日から始まった。
18世紀のフランスはウルトラ格差社会。
王や貴族、それとキリスト教の聖職者ら上流階級の人間が庶民から税をしぼり取って、自分たちは豪邸に住んだり、美味しいものを食べて優雅に華麗に暮らしていた。
やせ細った民衆に乗っかる貴族や聖職者
フランス革命によって、一般国民の犠牲の上に成り立っていた旧体制(アンシャン・レジーム)がぶち壊された。
こんな不平等な状態に銀行家や商人といった市民階級(第三身分)の人たちがブチギレて、1789年7月14日にバスティーユ牢獄を襲ってフランス革命を起こす。
革命の主役だった第三身分の人たちを中心に構成された国民議会は、貴族や聖職者といったそれまでの権力者から特権を奪って、いまの日本の中学生が歴史の授業でならうアレを出す。
国民の自由と平等、圧制への抵抗権、国民主権、法の支配、権力分立、私有財産の不可侵などを規定した「人権宣言」だ。
この反対の状態(旧体制)が上の絵だ。
1793年に多くの国民の前でルイ16世紀をギロチンで処刑し、ブルボン朝を滅亡させて革命の区切りとする。
王が消えると権力争いが始まって、1793年のきょう6月2日、ジャコバン派が対立していたジロンド派の議員29名と大臣2名の追放と逮捕を議決させる。その中には処刑されたり、自殺する者もいた。
こうして反対派を一掃したロベスピエールを中心とするジャコバン派は、絶大な権力を背景に独裁を開始し、恐怖政治という地獄の門が開かれた。
旧体制のシンボルだった王妃マリー・アントワネットをはじめ、ジャコバン派は自分たちに反対するあらゆる人間を処刑したり、自殺に追い込む。
酸素の命名者で「近代化学の父」といわれるラヴォアジエも、革命前に徴税請負人の仕事をしていたことが理由で処刑された。
市民から税を取り立てて上流階級の生活を支えていたことから、徴税請負人は憎悪の対象になっていて、ラヴォアジエのような優秀な人間でも「共和国に科学者は不要である」と裁判で言われて、その日のうちにギロチンで首をはねられた。
他にも「金持ちだから」という理由で処刑された人もいて、この“恐怖政治”の時代には万単位の人間が犠牲となったという。
恐怖政治が行われた間、パリだけで約1,400名、フランス全体では約2万人が処刑された。処刑方法には銃殺刑が多かったが、ギロチン(断頭台)による刑がよく知られている。
圧政からの解放、国民の自由・平等を目指したフランス革命で生まれたのがこの闇。
この恐怖による統治をフランス人は「terreur」と呼び、殺害や脅迫などの方法で自分の政治的目的を達成しようとする「テロ」の由来となった。
市民革命で不平等な社会を打倒して、市民の権利を守ろうとしたロベスピエール
彼には民主主義のパイオニアという光の面と、恐怖政治を行った独裁者というダークなイメージがある。
気に入らない人間は次々と処刑していくスタイル。
そんなロベスピエールの恐怖政治に、多くの人が嫌気をさして民心は離れていく。
そして1794年にテルミドールのクーデタでロベスピエールは捕まり、自分がそうしてきたように、革命広場に連れて行かれてギロチンで首を切断された。
生前、「徳なき恐怖は忌まわしく、恐怖なき徳は無力である」なんて言っていたロベスピエールは最期の瞬間に何を思ったか。
ロベスピエールの処刑で恐怖政治が終わり、民衆は両手を挙げて喜んでいる。
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