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日本の大学を卒業して、いまは日本企業で働いているモロッコ人と、このまえサイゼリヤでご飯を食べながら話をした。
そのとき日本で不思議に思ったコトやモノはあるか聞いたら、きょうスーパーで見た「フレンチトースト」と言う。
モロッコはフランスの植民地支配を受けていて、いまも社会にはフランスの影響が強く残っていて、そのモロッコ人はネイティブなみに流ちょうにフランス語を話すことができる。
モロッコの会社では同僚とはアラビア語で会話をして、ビジネス文書はフランス語で作成するのが当たり前らしい。
もちろんそれは上流企業での話で、街中にある商店は別。
そんなフランス語はペラペラ、でも日本語はカタカナ・ひらがなが読める程度のモロッコ人が、日本で生活していて「え?」と違和感を感じた一品がこちら。
フレンチは「フランスの」で、トーストとは「パン」のこと。
それぞれ別個なら分かるとしても、「フランスのパン」とは一体なんなのか?
モロッコ人がそう聞くと母国でよく見たバゲットを連想するけど、これは明らかにそれとは違う。こんなパンは見たことない。
でも日本ではよくあるし、今日もスーパーで買い物をしてたらこれを見かけた。
で、このパンの、どこがどう「フレンチ」なのか?
ネタバレすると、台湾ラーメンや天津甘栗が日本生まれの食べ物で台湾人や天津人は知らないように、日本のフレンチトーストという名前はフランスとは関係がない。
台湾・天津に麵料理や栗があるようにゼロとは言わないが。
この手の欧米のものは英語版ウィキペデアの説明が信用できるから、ここでのソースはそれにする。
フレンチトーストについての最古の記録は西暦1世紀、古代ローマ帝国時代のレシピの中に「もう一つの甘い料理」としてある。
それは、上質な白いパンの固い部分を取りのぞいて、チョット大きめに砕いて牛乳(と溶き卵)に浸(ひた)して油で揚げて、蜂蜜をかけたものだという。
The recipe says to “Break [slice] fine white bread, crust removed, into rather large pieces which soak in milk [and beaten eggs] fry in oil, cover with honey and serve”.
約2000年前というとまだフランスは誕生してなかったから、「フレンチトースト」の原型はその前からヨーロッパにあったことになる。
フランス語ではこれを「pain perdu(失われたパン)」という。
モロッコ人から聞いた話では、食べ残してしばらく置いといたフランスパン(バゲット)は乾燥して、めっちゃ固くなって食べるのがむずしくなるから、ミルクや卵に浸してパンを「よみがえらせる」ことから、「pain perdu(失われたパン)」の名前がつけられた。
RPG風に言うと、死者を復活させる儀式を行うような?
モロッコでは、カッチカチになったバゲットにこの蘇生魔法をかけてよみがえらせるから、日本みたいに、もともと柔らかい食パンにこの処置をすることはないらしい。
たしかモロッコでも「pain perdu」と言うと離していたような。
ちなみにネットを見ると、最近では日本でもフランス語の「パン・ペルデュ」を使っているところが多い。
さらにちなんじゃうと、日本語の「よみがえらせる」はイザナギが「黄泉(死の世界)から帰る」という神話に由来する。
では、なんでこのパンを「フレンチトースト」と呼ぶのか?
そのことについては、日仏文化協会の公式ブログ「「フレンチトースト」はフランス生まれ?」に説明があって、その由来として有力なのがこの2つの説だ。
・18世紀のアメリカにいた「ジョーゼフ・フレンチ」という酒屋の店主が命名した。
・アメリカでもともと「ジャーマントースト」と呼ばれていたけど、第一次世界大戦が勃発するとドイツは敵になったから、「ジャーマン」を「フレンチ」に変えた。
どっちが正解でも、「フレンチトースト」の名前がアメリカで生まれたことは間違いない。
で、日本にはアメリカから伝わったと。
このパン料理を台湾で「法國土司」(土司はトーストの音訳)と呼ぶのもアメリカ由来だからだろう。
だから、本場フランスの感覚を持つモロッコ人にはわからなかった。それか、アメリカ生まれのフレンチトーストはバゲットではなく、別のパンを使っていたのかも。
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