きょう6月13日は1886年に、ドイツ・バイエルンのルートヴィヒ2世が亡くなった日。
ということで「R.I.P」(Rest in peace:ご冥福をお祈りします)。
「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」というが、ルートヴィヒ2世の場合は死んだ後、世界的に有名なあの城を残した。
ディズニーランドの「眠れる森の美女の城」のモデルとなったというノインシュヴァンシュタイン城。
ノイとはドイツ語で「新しい」、シュバンは「白鳥」、シュタインは「石」だから、ノインシュヴァンシュタイン城で「新しい白鳥石の城」ってこと。
ちなみに天才物理学者のアインシュタインとはドイツ語で「1つの石」の意。
この壮大でロマンチックなお城を建てた第4代バイエルン国王ルートヴィヒ2世は、「狂王」とか「メルヘン王」とか言われていて、死んだときも他殺を疑われるなどかなり評判が悪かった。
なぜなのか?
子どものころゲルマン神話やブリタニアの騎士物語などを読んでいて、神々の世界や騎士道精神に大きな影響を受けたルートヴィヒ2世は、すでに中二病的な空想癖があったらしい。
そんな彼はワーグナーの作品に影響を超えて、すさまじい衝撃を受けて、この偉大な作曲家をバイエルンに呼びよせて彼のスポンサーとなって作品づくりを後押しする。
一般人のチケット入手は不可能なほど困難な「バイロイト音楽祭」が行われるバイロイト祝祭劇場は、ルートヴィヒが費用を出してワーグナーの作品を上演するためにつくられた。
金をドンドン出してくれるルートヴィヒは、ワーグナーにとって救世主でもATMでもある。
臣下たちはワーグナーのために、ルートヴィヒが金を湯水のように使うことを嫌っていた。
そんな臣下の強い要望から、泣く泣くワーグナーを追放した後、ルートヴィヒ2世は建築に夢中になる。
それで、子どものころからの憧れや夢だった騎士伝説を形にしたノイシュヴァンシュタイン城、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿をまねたヘレンキームゼー城、さらにリンダーホーフ城を建設した。
だからノイシュヴァンシュタイン城は、言ってみればルートヴィヒ2世の趣味や中二病心を具現化した建物で、彼が「メルヘン(おとぎ話の)王」と呼ばれるゆえんだ。
以下、建築中のノイシュヴァンシュタイン城
ワーグナーへの全力支援、巨大建築物の建造、さらにプロイセンとオーストリアとの戦争(普墺戦争)での賠償金の支払いと、カネはバンバンなくなっていく。
ルートヴィヒは1870年の普仏戦争の後から、不思議な行動をとりはじめたという。
王は一人で食事を取り、あたかも客人が来ているかのように語っていたり、夜中にそりに乗って遊んでいたところを地元の住民に目撃されたと伝えられている。
精神に異常をきたしたと判断したバイエルン政府は、1886年6月12日にルートヴィヒ2世を逮捕し、その日のうちに廃位した。
そして翌13日、シュタルンベルク湖で水死体となったルートヴィヒが発見される。
彼が本当に精神病を患っていたのか、死因は事故か自殺か他殺かハッキリ分かっていない。
ただ、彼を知るエリーザベト皇后が、
「彼は決して精神病ではありません。彼は夢の世界に住む、ただの変わり者だったのです。」
と述べたことと、生前のルートヴィヒが、
「私は自分自身と、他人にとって永遠の謎であり続けたい。」
とよく言っていたのはガチ。(Ludwig II of Bavaria)
昔は王の財政破綻を招き、今は世界中の旅行者を集めているノイシュヴァンシュタイン城は実はまだ未完成だ。
ルートヴィヒ2世が亡くなるとすぐに工事もストップして、いまもそのままの状態にある。
この城のあるフュッセン出身のドイツ人が言うには、この城の最大の見どころは奥にある「明らかに雑な部屋」。
作業をやりたくなかった職人がルートヴィヒの死を受けて、途中で仕事を放りだして二度と戻ってこなかったから、まるできのう作業が中断されたような不自然な状態になっているという。
ノイシュヴァンシュタイン城に行ったら、忘れずここを訪れて、「狂王」や「メルヘン王」と言われた王の趣味につき合わされた職人の思いを想像してみよう。
フュッセンにいるドイツ人に「ノインシュヴァンシュタイン城の写真を見せてほしい」と頼んだら、この写真が送られてきた。
赤丸の中にノイシュヴァンシュタイン城があるという。
視力5.0のアフリカ人でも見えんわ。
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