先日6月26日は、日本では「露天風呂の日」というほのぼのした記念日だった。しかし世界的には、この日は国連が制定した「拷問の犠牲者を支援する国際デー」という恐ろしい日だった。
ということで、今回は拷問の犠牲者として、これ以上なく理不尽な目にあったヨーロッパの「魔女」について書いていこう。
以前、知人のリトアニア人から、ヨーロッパと日本では魔女に対するイメージがかなり違うという話を聞いた。日本の伝統に魔女はいなくて、アニメやドラマを通じてその存在を知る人が多く、「可愛くて親しみのある少女」と明るくポジティブな印象がある。
それに対してヨーロッパでは、そんな現代的なイメージもあるけれど、伝統的には「魔女狩り」のような血塗られた歴史があるため、日本よりも重く暗いイメージがあるという。
数百年前、キリスト教が支配的だったヨーロッパで、「魔女認定」を受けた女性は悲惨だった。
日本的な魔女
悪魔との契約、または性行為によって魔力を得た人間が魔女。魔女は子どもをさらって食べたり、魔術を使って感染症などを人々にもたらしたりすると恐れられ、忌み嫌われていた。
15世紀から18世紀のヨーロッパでは、魔女を見つけては拷問にかけ、およそ5万人が処刑されという(10万人以上という説もある)。
ちなみに昔の日本では、病気などの不幸は鬼や疫病神がもたらすと信じられていた。日本の文化では鬼が西洋の魔女に近い存在だ。
数百年前、ヨーロッパの人びとは魔女こそが不幸の元凶と考え、全力で抹殺していた。もちろん、それは恐怖が生み出したファンタジーなのだけど。
当時は教会がそう主張していたこともあり、そんな話を信じ込んだ人が「正義」の動機から、魔女と思われる人物を教会に告発することがよくあった。
ターゲットにされたのは社会的な弱者が多かったという。
魔女として訴えられた者には、町や村、もしくはその近郊に住む女性で、貧しく教養がない、あるいは友人が少ないといった特徴を持つものが多かったようである。
教会は、魔女の疑いのある者に拷問をおこなうことを認めていた。こんな感じに強制連行され、熱した鉄の杭(釘)で体を刺すこともしていたのだろう。
災いを運ぶ鬼が家に侵入しないよう、鬼門にヒゲの男を描いたお皿を置いた平安時代の日本人のほうが、近世のヨーロッパ人よりも文明的だった。

ほうきにまたがった魔女(15世紀)
日本の歴史でいえば徳川家康が幕府を開いたころの1600年に、ヨーロッパの魔女狩りの中でも特に悲惨な出来事があった。それが神聖ローマ帝国(ドイツ)のバイエルン公国であった「パッペンハイマー魔女判決」だ。
この裁判はドイツの歴史上、最も有名な魔女裁判の一つと言われる。
パッペンハイマーは家族の名前で、夫婦と3人の息子からなるパッペンハイマー家は、トイレ掃除の仕事をしながらドイツ各地を放浪していた。
あるとき2人の泥棒が捕まり、処刑される前に「パッペンハイマーの息子が妊婦を殺した」と言った。結論から言うと、そんな事実はない。しかし、この“ウソ証言”で一家は捕まり、拷問を受けることとなる。
*魔女には女性だけではなくて男性もいた。英語で魔女は女も男も「witch」だけだが、ドイツ語では女は「Hexe」、男は「Hexer」になる。
パッペンハイマー家の人たちはムチで打たれたり、火であぶられたりして激しい苦痛を与えられ、とうとう自分が魔女であることを認めた。というか、認めさせられた。
バイエルン公国の首都ミュンヘンで行われた公開処刑では、民衆の前で次のような判決文が読み上げられた。
焼けたやっとこで六回ずつ各人の身体から肉をはさみ取り、残りの五名の男は前述した刑場にて、車輪によって四肢を砕き、父親であるパウルス・ゲムペルルは、槍に突き刺し、その後、六名全員の命を火刑によって奪うものとする。
「魔女狩り (黒川正剛) ふくろうの本」

「やっとこ」はこんな鉄製の工具で、ヒトの肉なら簡単に引きちぎることができる。
執行人はやっとこで母親の胸をちぎり取り、その肉片を彼女と息子の口にこすりつけた。身体から肉を取られ、車輪によって腕の骨を砕かれても彼らはまだ死ねなかった。想像を絶する苦痛を経験したすえに、パッペンハイマーの一家は火あぶりにされて殺された。
(父親はそのまえに絶命したらしい。)
魔女であるこの一家の埋葬は禁止され、死体は灰になるまで焼き尽くされた。
10歳だったヘンゼル(Hansel)は刑を免除されたが、親が殺されるところを見るよう命じられた。保安官(sheriff)の記録によると、ヘンゼルは「お母さんが(苦しみに)もだえている!」と絶望的に泣き叫んだという。
According to the sheriff’s notes, Hansel, on the sheriff’s horse, burst into heart-rending cries: ‘My mother is squirming!’ he cried in despair.”
Hansel was re-baptized and renamed Cyprian following the execution.
この処刑の後、ヘンゼルはバプテスマ(洗礼)を受けてキリスト教徒となり、「Cyprian」という名前をもらい、同じ年(1600年)に処刑された。
この時代のキリスト教徒の発想はよくわからない。
無実の一家をむごたらしく殺害した「パッペンハイマー魔女判決」は、この地を支配していたマクシミリアン大公の意向だったという。
殺人や放火、略奪といった犯罪行為に悩まされていたマクシミリアン大公は、バイエルン公国に秩序をもたらすためには、人びとを恐怖を植え付けるような残酷な公開処刑が必要だと考えた。
犯罪をおかして国外へ逃亡する放浪者の存在もやっかいだったため、見せしめとして一家に魔女の自白を強要し、犠牲にしたと考えられている。
このときマクシミリアン大公はまだ20代後半の若者だった。いろいろと狂っている。

マクシミリアン大公
大公は狂信的なカトリック教徒で、後にマクシミリアン1世 (バイエルン選帝侯)となる。ヨーロッパ最大の宗教戦争「三十年戦争」では、彼は神聖ローマ皇帝フェルディナント2世に協力してプロテスタント側と戦った。
高校世界史で習うのはこの当たりで、「パッペンハイマー魔女判決」は完全スルーのはず。
アニメとガチの魔女の違いが、おわかりいただけただろうか。
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