【進撃の蛮族】アッティラ、ヨーロッパに圧倒的恐怖を与える

 

きょう6月20日は、日本なら古墳時代の真っ最中の451年に、フン族と西ローマ帝国とのバトル、カタラウヌムの戦いがあった日らしい。
4世紀に中央アジアから西へ進んでいき、東ヨーロッパまでの地域を支配して6世紀に滅んだ遊牧民がフン族。
彼らは文字での記録を残していないから、くわしいことは不明のナゾ民族だ。

 

フン族の支配領域

 

このフン族のリーダーだったアッティラは、真面目なところだと高校世界史の重要人物として、身近なところでは映画『ナイトミュージアム』や『Fate』に出てくるキャラとして知られている。

今回はカタラウヌムの戦いに便乗して、英語版ウィキペデアに「世界の歴史上、最も強力な支配者の一人」(one of the most powerful rulers in world history)と紹介されているこの恐怖の大魔王を知っていこう。

 

アッティラ

 

アッティラ率いる遊牧民のフン族の大軍が馬に乗って、「どぉ~りゃりゃりゃ~」と西へ勢いで攻め込んでいき、カタラウヌムの地(いまの北フランス)で西ローマ帝国の軍とぶつかった。
東と西の大激突として有名なこの「カタラウヌムの戦い」は、アッティラらフン族を撤退させたから、西ローマ帝国の勝ちと言える。が、悪夢はすぐにやってきた。
翌452年、アッティラがまた攻めてきて、ローマを目指し、途中にあった街で破壊・略奪・虐殺をくり返しながら侵攻していく。
これを恐れた北イタリアの人たちは、フン族の軍が入ってこられないような湿地帯へ逃げ込み、その後はもう元の場所には戻らず、そこに定住することにした。
そこが発展していって、現在のヴェネツィアになる。(ヴェネツィア・歴史
アッティラ率いるフン族が西ローマ帝国の人たちに、どれほど大きな恐怖を植え付けたかがわかる。

この後、アッティラの軍で疫病が流行ったこともあり、ローマ教皇レオ1世の説得に応じてアッティラとフン軍は風のようにイタリアから去って行く。
これでキリスト教の中心地であるローマは守られた。
さらに、「アッティラの退却」という皇帝の軍ができなかったことを教皇が実現させたから、民衆の間でキリスト教の権威が高まっていき、ローマカ・トリック教会がその後のヨーロッパを支配する土台がつくられた。
これをふくめてアッティラは440年~453年にかけて、フン族の大軍を引き連れて何度か来襲し、好き放題に暴れ、奪いつくし、殺しつくしてヨーロッパを蹂躙したことから、畏怖の念を込めて「神の鞭(ムチ)」、「神の災い」と西洋世界で呼ばれるようになる。
その存在が西ローマ帝国滅亡の原因にもなったことで、アッティラは21世紀のいま、

「西ローマ帝国と東ローマ帝国にとって、最も恐れられた敵の一人」
(he was one of the most feared enemies of the Western and Eastern Roman Empires.)

と考えられている。(Attila

そんな豪傑は結婚式の宴会の最中に、内出血とみられる症状を起こして亡くなった。
でも彼の伝説は西洋社会で語り継がれていき、13世紀はじめごろに成立した『ニーベルンゲンの歌』ではアッティラが偉大で寛容な王として出てくる。

 

 

アッティラは日本のゲームで、「文明を滅ぼすもの」という設定の美少女キャラ・アルテラとしてよみがえった。
この必殺技はまさに「世界史上、最も強力な支配者の一人」のそれ。
「神のムチ」らしき攻撃もある。

 

 

 

ヨーロッパ 目次

徹底的な死・破壊・略奪でヨーロッパを変えた「ローマ劫掠」

新型コロナでハグやキスが禁止。イタリア人からは不満や怒り

ヨーロッパの恐怖の記憶:文明破壊のヴァンダリズムとは?

旅行・歴史雑学:ヨーロッパ主要国が誕生した時代ときっかけ。

 

1 個のコメント

  • この記事のようなアッティラ侵攻の恐怖が後々にまでヨーロッパに伝承され、その結果、19世紀になって「黄禍論(Yellow Peril)」として欧米白人社会に広まることになるわけですが。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。