【差別ダメ】幕末の「侍テロ」と、現代日本の「外国人嫌悪」

 

海外から要人が来日した場合、その安全は日本政府が保障しないといけない。
それでテロリストの襲撃を受けても、「楯」となって守り通せるような強者を護衛につけたら、その護衛が要人を襲ってそのあと自殺する。
政府にとってはそんな悪夢でしかない出来事が幕末に発生。
このころイギリス公使館が東禅寺(いまの東京港区)に置かれていて、その警護を松本藩がまかされた。
その藩士・伊藤軍兵衛が1862年のきのう6月26日の夜、イギリス代理公使のジョン・ニールを殺害するため寝室に侵入しようとすると、イギリス兵に見つかって2人の兵を斬り殺す。
これでケガを負った軍兵衛は逃走し、自刃した出来事を「 第二次東禅寺事件」という。
幕府は当然、イギリス側に多額の賠償金を支払うことになる。

東禅寺で起きた「サムライ・テロ」はこれで2度目だ。
1861年には、「夷狄(野蛮人)である外人に神州日本が穢(けが)された」と怒った攘夷派浪士14名が夜間に東禅寺へ押し入り、イギリス公使オールコックらを殺害しようとする。
ただこれにはイギリス側の判断ミスもあって、幕府が安全のために海路で移動するようアドバイスしたのに、それを拒否してオールコックらは陸路を選択した。
このときは警備担当と攘夷浪士とのサムライ同士の戦いになり、双方合わせて5名が死亡し、オールコックは無事だったものの書記官と領事が負傷する。
この件でも幕府はイギリスに賠償金(1万ドル)を支払った。(東禅寺事件

このほかにも幕末には、攘夷派のサムライが外国人を襲うテロ事件が何件も起きていて、その動機には「神聖な日本政が不浄な外国人にケガされた」といった外国人嫌悪感があった。

 

乗馬用のムチで浪士と戦うイギリス人。
東禅寺事件を経験したイギリス人の画家チャールズ・ワーグマンが描いたもの。

 

日本を清浄な地で外国人を野蛮人(夷狄)とみて、外国人がいると日本が「穢れる」と怒る浪士は令和の日本にはいない。
でも、忍者や侍は消えて、働きすぎが心配されるサラリーマンが一般的になった21世紀の日本社会でも「外国人嫌悪」の感情はある。
その原因の1つとして指摘されるのが、約260年に渡って外国人との接触がほぼ絶無だった江戸時代の鎖国だ。(外国人嫌悪

「外国人嫌悪」についてはまわりの外国人からマレに話を聞く。
20代のイギリス人女性が友人のアメリカ人女性と関西を旅行をしていて、電車で移動中、席に座って話をしていたら、いきなり足を蹴飛ばされた。
何が起きたか理解できないでいると、「エラそうに足を組んでいるな!ここは日本だ!」とおっさんに怒鳴られた。
イギリス人とアメリカ人は激怒したけど、「これは関わったら負け。相手にしてはいけない生き物だ」と悟って何も言い返さず、目的駅で降りてから泣いた。
ほかにも電車の中で友人と話をしていると、「英語を話すな!」と日本人に大声で怒られたと外国人がネットで体験談をポストすると、「日本では、日本人ではないことが理由で理不尽な扱いを受けることがある」といったコメントが殺到していたのを見たことある。

もちろん「外国人嫌悪」は日本だけの現象ではない。
ヨーロッパにもアジアにも中東にもあるし、程度や内容が違うだけでこの感情はどこの国にもある。
鎖国政策とは反対に、世界中から移民を受け入れたアメリカでも「この国で韓国語を話すな!」と激怒するお年寄りがいた。

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外国人であることが理由で、嫌悪感情を露骨に示す日本人は残念ながらいる。
「神州」とまではいかないまでも、日本を特別視するような人をネットでけっこう見るし、匿名性からネット空間はムゴイ無法状態になっている。
刀を持って襲いかかる「サムライ・テロ」の心配はもう無いとして、ネットで助長される外国人への嫌悪や差別意識が現代日本の問題だ。
これで政府が賠償金を支払うことはなくても、こういう暗黒面を海外メディアに報道されると日本国が名誉を失う。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。