きょう7月30日は1953年のこの日に、昭和の英雄・力道山を中心に日本プロレス協会が結成されたことから「プロレス記念日」。
それと「梅干の日」でもある。
昔から日本では「梅干しを食べれば難が去る」と言われてきたことにちなんで、「なん(7)がさ(3)る(0)」というチカラ技の語呂合わせで「梅干しの日」が爆誕した。
梅で困難を乗り越えた事例といえば、三国志の英雄・曹操が思い浮かぶ。
敵を攻めるため曹操の軍が進んでいると、途中で飲み水のないエリアに入り、水分補給ができない状態でひたすら行軍をつづけた兵たちはのどがカラッカラに乾いてしまった。
水不足というまさかの大敵に苦しんで全軍に影響が出始めたとき、曹操は大声で兵士に、
「この山を越えると梅林がある!そこで休んで好きなだけ梅の実を食べて、のどの渇きをいやすことができる。もうすこしだ、がんばれ」
と話して鼓舞した。
それを聞いた兵たちはたわわに実ったたくさんの梅を想像して、思わず口の中にツバがわいてきたことで、渇きを忘れ力も出てきたことで、何とかリアルの水源まで歩き続けることができた。
こんな曹操のとっさの機転から生まれたのが「梅を望んで渇きを止む」という故事。
この言葉は想像力によって、その場の欲望をおさえることを意味するらしい。
ただ三国志のこのシーンは本家・中国の三国志(三国志演義)にはほとんどなくて、ほぼ日本人のアレンジによるものだ。
日本人の価値観や考え方としては、こういう話が好物なんだろう。
画像はSEKIUCHI
でもそれはいまから1500年以上前、中国で魏・呉・蜀の三国が天下統一を争っていたころの話。
飢餓状態といった特別な危機でもなければ、近所のコンビニで飲料水が手に入る現代の人間には関係ない。
いまの人類がこんな梅の実を見たところで、昔話のようにツバがわいてくるわけない。
と思ったら実はそうでもなくて、これが去年、日本のコロナ対策のちょっとした切り札になって話題となった。
読売新聞の記事(2020/10/01)
コロナ検査を梅干しの写真がアシスト…関空検疫所、唾液採取しやすく
人のツバから新型コロナウイルスの陽性・陰性を確認する検査で、関空の検疫所では唾液の分泌をうながすため、検査場の壁に大きな梅干しの写真を貼ることをきめた。
たしか他の空港でも、この「コロナ検査で梅干し」のアイデアを採用したところがあったと思う。
「梅を望んで渇きを止む」とは目的が違っても、梅を見ると思わずツバが出てくるという、人間の根本原理を利用した曹操の知略に匹敵する、かは別としてコスパ的には最高な日本人の知恵だった。
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> それを聞いた兵たちはたわわに実ったたくさんの梅を想像して、思わず口の中にツバがわいてきたことで、渇きを忘れ力も出てきた
梅の実って、果物みたいに生で食するものなんですか? 確か、若い梅の実には毒があって食用不可だと思いましたが。
日本人なら、梅干しを思い浮かべると口に唾が湧いてくるのは当然でしょうけど、梅の実はどうかなぁ?
なんだか「梅の実」と「梅干し」を混同した日本人が広めた説っぽいですね。
それと、「本家・中国の三国志(三国志演義)」とありますが、「三国志演義」はあくまで明時代に大ヒットした小説であって、もともとは、三国時代に実在した陳寿による歴史書「三国志」がオリジナルですよね。
三国志の時代の中国人が梅をどう食べたかによるでしょうね。
日本によくある三国志の元となったのは史書ではなく、小説の三国志演義と思います。
あらためて考えてみれば、陳寿の歴史書「三国志(魏・呉・蜀)」のうち「魏志」において、曹操が活躍していた時代に、日本はようやく女王卑弥呼が国をまとめ始めていたくらいなんですね(魏志倭人伝)。確かに中国文明の先進性はすごい。日本人は、魏志倭人伝が三国志(歴史書)の一部であると知らない人も多いようですけど。
元末・明初時代の羅貫中の小説「三国志演義」(ただし作者については異論もあり)が日本に伝わったのは、戦国時代末期の頃であり、その後江戸時代になってから、ある程度の漢学の素養がある知識人に広く知られるようになったのでしょう。
その後数百年を経た戦後日本において、庶民一般にまで三国志(演義)を広めたのは、おそらく、吉川英治の翻訳的小説「三国志」と、横山光輝のマンガ「三国志」による功績が大きいです。さらに現代、中国・韓国・台湾をも含めて若い世代に「三国志」が知られるようになったのは、ゲームによるものです。今ではなんと、本家の中国人でも、若い人の中には「三国志」が中国の歴史上の実話であるとは知らず、日本のゲームだけの話であると思い込んでいる人もいるらしいですよ。