幕末がつくったジョン万次郎:漁師→幕末の旗本→東大教授

 

おっと忘れてた。
きのう7月21日は江戸時代末期の1841年に、万次郎(ジョン万次郎)がアメリカの捕鯨船に救助された日だったっけ。
1827年に土佐(いまの高知)で漁師の家に生まれた万次郎は自分も漁師になり、14歳になったころのある日、仲間と一緒に漁にでた。
そしたら、突然の強風に襲われたでござる。
でもって遭難して海上をただよって、たどり着いた先は伊豆諸島の無人島(鳥島)。
この島で海藻や海鳥を食べながら、143日間を生き延びた万次郎の人生はすでに映画化決定レベルだ。
耐えがたきを耐え、忍び難き忍んでいたら、1841年7月21日(6月27日の説もある)、万次郎とその仲間たちはアメリカの捕鯨船の乗組員に発見され、救助された。
当時はまだ鎖国中だったから、日本に帰国することはあきらめ、船長のホイットフィールドらと一緒にアメリカへ行くことにする。
船名が「ジョン・ハウランド号」だったことにちなんで、万次郎は「ジョン・マン」と呼ばれた。

ジョン・マン以外の4名はハワイで船を降り、捕鯨船員となった万次郎だけがアメリカ本土を目指すことになる。
船長には頭の良さを気に入られたし、万次郎自身もアメリカ上陸を望んだ。
1843年にマサチューセッツ州の港に着いたあと、万次郎は船長の家で暮らしながら、小学生に混じって英語を勉強、その後、さらに上の学校へ進んで数学や測量・航海術などを学び、その学校で首席になる。
もうこのへんで伝説の予感が。

 

万次郎の航海

 

でも、日本人はやっぱり日本人だ。
生まれ育った国への想いを断ち切ることはできず、1851年にまず琉球へ上陸し、そこで取り調べを受けた後、万次郎は薩摩藩へ送られた。
まだ日本は鎖国中にあったけど、オープンな考え方の持ち主で、西洋に興味のあった薩摩の殿さま・島津斉彬(なりあきら)と出会った万次郎は本当にツイてる。
島津斉彬は万次郎を歓迎し、海外の情勢などについて質問し貴重な情報を得た。
そして斉彬はアメリカで万次郎が身につけた、日本にはないような知識の価値に気づく。
それで彼に、藩士や船大工へ西洋式の造船術や航海術について教授させて、薩摩藩は日本初の蒸気船である「雲行丸(うんこうまる)」を完成させる。
さらに斉彬は万次郎を薩摩藩の英語講師にした。
本場アメリカを知る日本人が英語の先生になることは、いまの日本では山ほどある。
その第一号がジョン・マンだ。

ちなみにガチのネイティブ英語教師なら、万次郎の前にいた。

幕末の1848年、日本初のネイティブ英語教師が爆誕した背景

 

中浜万次郎

 

あのとき突風に襲われて漂流から11年目、1852年にやっと故郷の土佐に帰ることができた。
貧しい漁師だった万次郎は土佐藩で武士の身分に取り立てられて、藩校で後藤象二郎や岩崎弥太郎などに教えた。

そのあとは、時代がジョン万次郎をつくっていく。
1853年にペリーが砲撃をチラつかせて開国を要求すると、江戸幕府はアメリカの事情をよく知る人間が緊急で必要になる。
このときの日本で、万次郎以外にそんな人間がいるものかと。
ということで万次郎を超特急で江戸へ呼び寄せると、幕府は彼に直参旗本の身分と「中浜」の姓を与えた。
漂流したころは、日本に帰ったら処刑されてたかもしれない人間が、時代が変わって幕府に直接仕える武士になる。
これはトンデモナイ出世だし、こんな波乱は幕末ならではこそ。
旗本となった万次郎はアメリカの事情や英語を教えることはもちろん、造船や測量術、航海術の指導を行い、さらに翻訳や講演までして日本でオンリーワンの大活躍をする。
日米和親条約の締結ではナイスな助言をして、1860年には、日米修好通商条約の批准書を交換するための遣米使節団のメンバーに選ばれ、咸臨丸に乗ってアメリカへ渡る。
この万次郎は艦長の勝海舟や福沢諭吉と知り合う。
アメリカでは、万次郎が一行の通訳になったことは言うまでもなし。

このあと明治維新で江戸の日本がぶっつぶれても、万次郎の知識は日本に必要とされていた。
むしろアメリカで身につけた知識は、明治の日本でこそいかされる。
明治2年(1869年)、政府によって開成学校(いま東京大学)の英語教授に任命された万次郎は多くの日本人に英語や世界を教えた。
そして最期は教育者としてこの世を去る。

貧しい家に生まれ、まともな教育を受けることもできなかった14歳の漁師が、日本にここまで大きな影響を与えた偉人になる。
幕末という時代がジョン万次郎をつくったと言っていい。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。