19世紀後半、アメリカの支配を受け入れず、自由のために戦うフィリピン人がいた。
そんな人たちに心を動かされて、多くの日本人が支援した。
という話をさっき書いたのですよ。
この話にはつづきというか、後日談がある。
アメリカ・フィリピンの戦争から15年ほどが過ぎ、日露戦争が始まって日本の勝利が確定的になった1905年7月、アメリカのタフト長官が来日して内閣総理大臣だった桂太郎と会談をした。
これはアメリカとフィリピン、日本と韓国の関係に関わる重要な内容で、現在の日韓関係にも影響を与えている。
さて10年ほど前、韓国紙の中央日報にこんな記事があった。(2010.08.23)
「強制併合は悪い」…韓国79%、日本20%
1910年に韓国が日本に併合され(韓国の表現では”韓日強制併合”)、ちょうど100年を迎えたこの年、両国民を対象にアンケート調査を行った。
併合について韓国では「悪かった」(78.9%)が圧倒的で、20%の日本とは対照的。
日本では「悪い点もあるが良い点もあった」(60%)と考える人が多かった。
日本の謝罪については韓国では「謝罪が不十分または謝罪をしていない」が82.4%で、日本では「謝罪した」(47%)が「していない」(15%)を大きく上回り、日韓のギャップは大きい。
それで中央日報が「韓日国民の過去の歴史に対する認識の差は大きい。」と書くのは今とまったく変わんない。
ちなみに天皇が両国友好のために、1~2年以内に韓国を訪問することについては韓国で58%、日本では48%が賛成していて、これについては両国民の認識は近い。
でも、それから12年経った現在を見てみると、その気配さえない。
日本の併合について、「あれは違法な強制併合だった」と考えるのが韓国では一般的だ。
つい最近も元徴用工問題で原告側を支持する民族問題研究所(なにしてんの?)のキム室長が強く訴えた。
ハンギョレ新聞で(2022-07-03)
植民支配の不法性を確認し、それと直結した不法行為に対する賠償責任を認めた2018年10月の最高裁(大法院)判決の「世界史的意味」を忘れてはならないと繰り返し強調した。
強制動員被害者支援活動家「2015年の拙速な韓日『慰安婦』合意と同じ状況」
不法、不法と言うが、では100年ほど前にタイムスリップして、1905年7月の日本を見てみよう。
このときアメリカのタフト長官と桂太郎首相が話し合いをする。
「桂・タフト協定」によって、日本はフィリピンにおけるアメリカの優先権を認める代わりに、アメリカは韓国における日本の優先権を認めた。
互いに「ノータッチ」を確認したことで、このあと日米両国はフィリピン・韓国への支配を強めていく。
この「桂・タフト協定」はフィリピン・韓国の国民を無視した内容で、日米の利益を中心に東アジア世界の勢力図が形成された。
両国民の意思は排除されたから、感情としては「強制」になる。
でも当時の世界秩序は、強者の利益によって決められるのが常識だったから、現在の価値観や常識を100年前に当てはめても無意味。
あのときはそういう時代だった。
日露戦争の勝利で、韓国に対する日本の優先権はロシアもアメリカも認めたから、「不法」というのは韓国民の感情としては正しいが、日本が韓国を併合するとき、「それは国際法違反だ!」と主張した国はひとつも無かった。
あの併合は突然行われたのではない。
そうなる過程が前からあって、欧米列強もそれを見ていて、韓国が日本の一部になることは既定路線だったから、驚く国なんてなかっただろう。
日韓併合について韓国では8割が「悪かった」と考えていて、日本では2割しかなく、「良い点もあった」が6割と多かった。
両国のこの認識はたぶんいまも変わっていない。
「桂・タフト協定」から、日本と韓国に対する当時の国際社会の視線を考えると、「違法な強制併合」という韓国側の主張はあまりに感情的だ。
ただ、そのためにいま韓国政府は世論の説得に苦労している。
韓国女子バレーの女帝、日本製シューズのロゴ隠す。政治とスポーツ。
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