1か月ほど前に東京・上野で、「フィリピンエキスポ 2022」が開かれた。
これはそのときのコスプレ大会のようす。
クオリティーじゃない。
楽しそうなレイヤーの笑顔を見るんだ。
1898年6月12日、アギナルド将軍率いるフィリピン革命軍がスペインに対して、独立宣言をたたきつけてやったことを記念して、フィリピンではその日が祝日になっている。
そしてそれと、日本・フィリピンの友好親善を図るために、「フィリピンエキスポ」が上野で開かれているらしい。
エミリオ・アギナルド・イ・ファミイ(1869年ー1964年)
長くスペインの植民地だったフィリピンでは、1890年になると独立を求める動きが活発化し、武装組織(カッコよく言えば革命軍)がフィリピンにあるスペイン軍の基地を襲撃した。が、刀、弓矢、竹槍といった貧弱な武器で、近代的な武装をしたスペイン軍に勝てるはずもなく、連戦連敗を重ねる。
でも、あきらめないフィリピン人に反撃のトキがきた。
1898年にアメリカがスペインに宣戦布告して米西戦争が始まると、フィリピンの情勢が一気に変わる。
「敵の敵は味方」は現実世界でも、アニメの世界でも変わらないゴールデンルール。
アメリカ軍から武器提供などの支援を受けたアギナルドは、フィリピン革命軍を率いてスペインに独立戦争を再開し、ついにこれを打倒する。
そして1898年6月12日、各国代表やジャーナリストを招いて、高らかにフィリピンの独立を宣言したのだった。
フィリピンの紙幣に描かれている独立宣言の瞬間
このとき、「やっと終わりましたね」と涙を流す部下に、「いや、フィリピンは生まれたばかりだ。オレたちの本当の戦いはこれから始まる!」と、アギナルドが少年ジャンプ的なことを言ったのかは知らない。
でも、ラウンド2が始まった。
翌99年にフィリピン第一共和国が成立し、アギナルドが初代大統領に就任しても、アメリカは独立を認めず、フィリピンを自分たちの支配下に置こうとする。
これで、今度はアメリカとの戦争(米比戦争)がぼっ発。
が、スーパーパワーのアメリカ軍に勝てるはずもなく、1901年にアギナルドが拘束されて、フィリピン第一共和国は瓦解した。
フィリピンはアメリカの植民地となったから、結果的には“マスター”が変わっただけ。
フィリピンの自由は春の夢のように短かった。
この独立戦争で、フィリピンを支援した日本人がいたことを、いまの日本人はほとんど知らない。
でも、風化させるワケにはいかないので、これから紹介しよう。
宮崎滔天
スペイン・アメリカの独立戦争について、当時の日本は公式には「中立」か、アメリカを支持する立場を表明していた。
巻き込まれるとやっかいだし。
でも民間では、自由民権運動家の末広鐵腸(すえひろ てっちょう)はこの動きに共感して、日本にいたフィリピンの独立運動家であるホセ・リサールを支援した。
アメリカとの戦争ときにはアギナルドが「革命委員会」を日本へ送り、メンバーが独立活動の実情を日本の知識人や政治家に話して協力を訴える。
すると犬養毅や宮崎滔天(とうてん)などが動き、村田銃をフィリピンに送ることがきまった。(ただし有償)
台湾を統治していた日本にとって、すぐ近くにあるフィリピンがアメリカ領になることはイイことではない。
そんな日本の国益から、フィリピン軍に日本の軍人を派遣する計画もあったが、これは実現せず。
1899年7月、武器を積んだ布引丸(ぬのびきまる)が日本を出航すると、フィリピンに到着する前に台風にあって沈没(布引丸事件)。
これで、フィリピン独立戦争に参加しようとしていた日本人志士や船長など19名が亡くなった。
フィリピン革命軍への武器提供など日本の支援を知ったアメリカは、「何してけつかんねん!」と日本政府に抗議する。(たぶん)
フィリピン側の資金もなくなったことから武器の購入や輸送は不可能になり、日本との関係もなくなった。
「フィリピンエキスポ 2022」ではコスプレ大会もいいけど、フィリピン独立革命を支持した日本人の寸劇もすればいいのに。
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