1590年のきょう8月4日、小田原城にいた北条氏直が降伏して、豊臣秀吉の天下統一がコンプリート。
これで秀吉さんは天下人。
さて、ここからの話はドイツだ。
ベルリンを首都とするこの国の面積は日本とほぼ同じ(約94%)で、人口は約8,319万人と日本の約65%だから、全体的にドイツは日本より広々している。
で、この国はいつできたのか?
まずメルセン条約(870年)によってフランク王国が分裂し、いまのドイツ・フランス・イタリアの原型ができる。
フランク王国の領土
画像:Roke~commonswiki
そして16州ある現在のドイツは、1871年の「ドイツ統一」によって出来上がった。
普仏戦争で快進撃を続けてパリを占領し、ヴェルサイユ宮殿でヴィルヘルム1世が初代ドイツ皇帝となってドイツ帝国が成立。
秀吉の快挙から約の300年後、統一が達成されて現在のドイツが誕生した。
…そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。
ウィキベテアの「ドイツ統一」は1871年のこの出来事を指しているし、日本の高校世界史でもきっとそう習う。
でもドイツ人に話を聞くと「いや違うし」と否定されたから、「アレ?」と。
1871年は日本では廃藩置県がおこなわれた年で、各地の藩が消滅して、権限を明治政府に集中させた日本は「ドイツ統一」と重なるから、ちょうど覚えやすかったのに。
知人が否定したワケは、1871年に統一されてできたドイツ帝国にはバイエルン州(王国)が入っていなかったから。
画像:Milenioscuro
赤がドイツ帝国で、下の白い部分にバイエルン王国がある。
バイエルン王国はこの統一に加わっていなかったし、生まれ故郷のバイエルン州がドイツから除外されているというのは彼としては許されない。
*バイエルン王国も名目上はドイツ帝国に加わっていた。
でも、実質的には国王が統治する独立国で、知人が重視するのはこっちの中身のほう。
現在ドイツにある16州の中でも、バイエルン州は別格で「ラスボス感」がある。
超有名サッカーチームのバイエルン・ミュンヘン、BMWやアウディといった有名企業の本社はバイエルン州にあるし、世界最大のビール祭「オクトーバーフェスト」、世界最大のクリスマスマーケットもここでおこなわれる。
知人のドイツ人の話では、外国人がイメージする「ドイツの民族衣装」はバイエルン州の衣装。
文化・経済的にバイエルン州の影響力はドイツ国内でも飛びぬけているから、ここをスルーして、1871年の統一によっていまのドイツが誕生したというのは、彼としては受け入れられない。
それにこのドイツ帝国は現在のポーランド領を含んでいたから、現在のドイツとは形もかなり違う。
では彼の見方では、ドイツはいつ誕生したのか?
それは、第一次世界大戦で負けて1918年に革命が起きた時。
このドイツ革命によって皇帝ヴィルヘルム2世と帝政ドイツが消滅し、同じころバイエルン王国でも革命が起きて王が廃位し王国は滅亡した。
その後、ひとつの州としてバイエルンがドイツへ加入した。
こうしてできたヴァイマル共和国がドイツの始まりになった、というのが彼の意見だ。
ヴァイマル共和国は共和制だから、個人の「天下人」はいない。
ボクとしても、バイエルン州という最重要パーツ無しのドイツは考えられん。
ということで、1871年に統一されてできたドイツ帝国はスタートポイントではない。
秀吉が小田原という最後のピースを手に入れて、日本全図を完成させたように、1918年のドイツ革命でバイエルンがひとつの州として、完全に組み込まれた時にいまのドイツが始まったのだ。
おまけ
日本で「ドイツ統一」というと、1990年の西ドイツと東ドイツの統一を指すことが多い。
でもドイツで「ドイツ統一」というと、1871年の統一を指す。
1990年のはもともと2つに分裂していたのが再び一つになったから、「ドイツ再統一」とドイツでは言う。
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